備前長船勝光

特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon Paper

No.F00117

白鞘  金鍍金一重ハバキ

     売 約 済

刃長 : 25.8cm  (8寸5分) 反り : 0.2cm  (わずか)

元幅 : 1.0cm 元重 : 2.25cm

登録証

東京都教育委員会

昭和41年06月16日

: 備前国 (岡山県-南東部)

時代 : 室町時代中期 文明十二年 1480年

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

特別保存刀剣鑑定書

平成20年03月19日

備前国住長船勝光

文明十二年二月日

形状

 

刃文

 

帽子

 

平造、庵棟、身幅尋常、重ね目立って厚く、わずかに反りつき、鎧通しの迫力ある様相を呈す。

板目つみ、杢交じり、地沸厚くつき、地景入る。

のたれ調に、互の目・小互の目、少しく小丁子風の刃交じり、足入り、匂深く、小沸よくつき、金筋入り、砂流しかかり、飛焼を交え、棟を焼く。

表は直ぐに小丸に返り、裏は乱れ込み丸に返り、共に長く焼き下げ、表は焼刃に繋ぎ、先掃きかける。

生ぶ、先栗尻、鑢目勝手下がり、目釘孔一。

説明

右京亮勝光は、六朗左衞門尉祐光の長男にして、弟に左京進宗光がおり、まま合作が経眼され「土屋押形」に「文明三年勝光丗七歳、宗光丗五歳」とある。他に、五郎左衞門尉則光、彦兵衛忠光、彦兵衛尉祐定との合作などがある。文明15年、赤松政則の幕下として郎党を率いて備前国福岡城を守り板屋瀬に戦う。文明から延徳頃にかけて作品を遺し、山城国、美作国、備前国児島、備中国草壁などにても造る。刃文は互の目丁子が多く、短刀には鎧通し、冠落とし造り、両刃造、表:平造・裏:切刃造など多岐にわたり、いずれも如何にも造込みが上手である。また、剣・梵字・刻字などの彫物をみる。

寛正頃の則光・祐光などの次の時代である文明頃から勝光・宗光・忠光・祐定などが活躍し、末備前鍛冶発達の先駆をなしている。応仁・文明の乱をはじめとする戦乱などが刀工の隆盛を導いたといわれている。勝光は初代:右京亮、その子に二代:次郎左衛門尉がおり末備前を代表する名工である。

本作は、重ねが1.0cmと極めて厚く典型的な鎧通しの姿である。右京亮勝光が46歳の作にして、地鉄は、板目に杢を少しく交え、地沸が厚くつき、沸が強いためか映りの状は見受けられない。刃文はのたれに互の目・小互の目を交え、飛焼がかかり、帽子の返りが長く焼刃に繋がり華やかに乱れ、部分的に皆焼状となり、豪壮な鎧通しの姿と相まって迫力がある。鎧通しは応仁・文明頃から見受けられるようになり、以後、室町後期まで続くが、これだけ重ねが厚く本格的な鎧通しはなかなかお目にかかる機会は多くない。

<数打ち・仕入打ちについて>

 

末備前鍛冶の作で、俗名がないものを所謂「仕入打ち」「数打ち」などと称することがあるがご注意いただきたい。それらはもっと時代の下がった室町後期に多くみられるものを指し、寧ろ、応仁・文明のこの頃は、俗名のないものにも名品が多く、彦兵衛忠光、彦兵衛尉祐定などにいたっては俗名がないものの方が多いくらいである。「仕入打ち」「数打ち」などと称されるものは、まず銘字を簡単に切っており乱暴な感じであり、本作の様に一鏨、一鏨と丁寧に切っていない。また、それらは地鉄の素材に良い材料を使っていないため、地鉄が精美なものは見受けられない、などの特徴がある。

備考

古刀 最上作。

大業物。

 

部分的に小錆がみられます。

備前長船勝光1
備前長船勝光2
備前長船勝光4
備前長船勝光3

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