高羽秀忠

 

No.A00344

白鞘  金着二重祐乗鑢ハバキ

     売 約 済

刃長 : 68.0cm  (2尺2寸4分) 反り : 1.4cm  (4分半)

元幅 : 3.2cm 先幅 : 2.65cm 元重 : 0.45cm 先重 : 0.4cm

登録証

岐阜県教育委員会

平成25年11月07日

: 岐阜県

時代 : 現代 昭和51年 1976年 

鑑定書

高羽秀忠

昭和五十一年八月吉日 奉祝天皇陛下御即位五十年記念

形状

刃文

 

帽子

彫物

鎬造、三ツ棟、身幅広め、重ね尋常に、元先の幅差少なく、浅く反りつき、大鋒となる。

板目つみ、やや肌立ちごころに、地沸つき、地景入る。

浅い小のたれを基調に互の目・小互の目交じり、足入り、小沸よくつき、砂流しかかり、刃縁に少しく湯走り風交える。

乱れて小丸に返り、先掃きかける。

表裏に二筋樋を掻き流す。

生ぶ、先栗尻、鑢目勝手下がり、目釘孔一。

説明

 高羽秀忠刀匠は、本名を高羽誠といい、昭和3年2月18日に生まれる。昭和17年、池田国忠刀匠に入門、昭和18年、中田兼秀刀匠に入門する。刀匠銘の「秀忠」は池田国忠刀匠の「忠」と中田兼秀刀匠の「秀」からいただいたものである。昭和44年、作刀承認を受け、第1回新作名刀展に出品し、連続で入選する。昭和51年には、志津三郎兼氏の代表作で重要文化財に指定されている切刃造のものを写し奨励賞を受賞する。昭和44年、佐藤寒山先生のお世話で宮入昭平鍛錬所に研修を受ける。昭和45年、岐阜県関市に高羽鍛錬所を開設する。作風は、同国の美濃国が産んだ名工:志津三郎兼氏に私淑し、他に山浦清麿風のものがある。佐藤寒山先生による現代刀評の中に「全体的なレベルの向上は言うまでもないが、特に著しき飛躍を遂げた人に、岐阜の高羽君がいる。彼の出品刀は重文の兼氏写しだが、驚くべき立派な作であった。高い所に目標を置いて一生懸命精進すれば素晴しい転機が訪れる好見本だ」と称されている。

 この刀は、身幅広めに、重ねが尋常、元先の幅差少なく、浅く反りつき、大鋒といった南北朝時代の大太刀を大磨上にした体配を呈している。地鉄は、小板目肌がよくつみ、わずかに小杢を交え、やや肌目がたつ。刃文は、浅い小のたれを基調に互の目・小互の目交じり、足入り、小沸よくつき、砂流しかかり、刃縁に少しく湯走り風交える。高羽刀匠が、私淑する志津三郎兼氏を写したもので、堂々とした大柄な体配に、穏やかな小のたれを基調とした刃文を焼き、地刃がよく調和している。

備考

茎の表裏に鍛え割れがみられます。

高羽秀忠1
高羽秀忠2
高羽秀忠3
高羽秀忠4

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