靖国刀匠 Yasukuni sword maker |
No.A00129 |
白鞘 素銅一重太刀ハバキ |
売約済 |
刃長 : 66.8cm (2尺2寸) 反り : 1.7cm (5分) 元幅 : 2.85cm 先幅 : 1.8cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.5cm |
登録証 : 兵庫県教育委員会 昭和34年07月10日 |
国 : 東京都 時代 : 現代 昭和13年 1938年 |
鑑定書 :
|
銘 : 靖光 昭和十三年六月吉日 |
|
形状 :
鍛 : 刃文 : 帽子 : 彫物 : 茎 : 鎬造、庵棟、身幅尋常にて、重ねやや厚く、先反りつき、中鋒となり、鎌倉期の小太刀を想わせる姿となる。 小板目つみ、輝く地沸細かによくつき、地景入り、潤いのある肌合いを呈す。 中直刃、足・葉わずかに入り、匂口しまりごころに、わずかに小沸つく。 品良く小丸に返る。 表裏に棒樋を掻き流す。 生ぶ、先入山、鑢目切、目釘孔一。 |
|
説明 : 「靖国刀匠」とは、昭和8年7月に当時の陸軍大臣:荒木貞夫が有事に際した軍刀整備の為に組織した刀工集団 (財)日本刀鍛錬会に所属する刀匠たちの通称で、彼らが鍛えた刀剣は「靖国刀」と呼称され、その名は日本刀鍛錬会が靖国神社境内に置かれたことに由来している。創設には後に主事となった海軍大佐:倉田七郎らが尽力し、草創期の主任刀匠として宮口靖広、梶山靖徳、池田靖光などがいる。鍛錬会では、主として通常の軍刀の制作や陸海軍大学校の成績優秀な卒業生に贈られた御下賜刀(所謂恩賜の軍刀)などの制作を行っており、終戦により同会が解散するまでに約8100振の刀を制作したといわれている。現在でも鍛錬所の建物は靖国神社境内に残っているが、内部は改装されて茶室になっている。 池田靖光は、本名を池田修治といい、明治12年11月2日に山形県に生まれる。祖父に水心子正秀門の池田一秀入道竜軒、父に池田一光がおり、初銘を父と同じく「一光」と銘し、「羽州庄内住池田一光作 昭和二年正月日」などとも切る。昭和8年12月15日、先手の阿部靖繁(繁雄)、村上靖延(円策)とともに入会し、荒木貞夫陸軍大臣より刀匠銘「靖光」を授名、主任刀匠として第三鍛冶場を任せられる。昭和14年10月4日、停年、その後も指導にあたりながら少数を作刀する。昭和15年末、退会、帰郷し、昭和16年1月に没している。(財)日本刀鍛錬会での造刀数:約1100口。鍛錬会開設時より主任刀匠として参加し、宮口靖広、梶山靖徳とならぶ「靖国刀匠」の代表的刀工である。弟子に阿部靖繁、村上靖延、八鍬靖武などがいる。 本作は、来国俊の小太刀を想わせる出来であり、引き締まった姿に加え、地鉄の精美さは靖光の力量を十分に窺い知ることが出来る。ごく最近、研磨され保存状態も極めて良い。茎の状態もほとんど錆もなく良好である。 また、鞘書に「小林吉二所用」とあり、陸軍大佐:小林吉二の佩刀であったことがわかる。当時の所持者が判明していることも貴重といえる。 |
|
<小林吉二について>
日本陸軍-大佐 大正2年5月26日 陸軍士官学校卒業(士候25) 大正2年12月25日 陸軍少尉 妹は陸軍騎兵中佐-井置栄一に嫁す
終戦時には、第84師団:輜重兵第84連隊長(堺)としてその名がある。 |
|
備考 : 靖国刀匠 鞘書「小林吉二所用」、柄に「小林吉二」 研磨済み |