商品詳細

大刀剣市 カタログ掲載品

短刀 国広(堀川)(新刀最上作)(大業物)

Tanto [Horikawa Kunihiro]
第23回重要刀剣
NBTHK Jyuyo Paper No.23
No. F00229
白鞘 本間薫山先生鞘書 金着二重ハバキ
鑑刀日々抄・堀川国広とその一門展図録 所載

刃長 : 27.9cm (9寸2分) 反り : 0.2cm (わずか)

元幅 : 2.65cm 元重 : 0.55cm 茎長さ : 11.2cm 茎反り : 0.1cm

登録証:

兵庫県教育委員会
昭和26年08月25日
国: 山城国 (京都府-南部)
時代: 江戸時代初期 慶長8年頃 1603年頃

鑑定書:

(公)日本美術刀剣保存協会
重要刀剣指定書
昭和50年07月01日
銘: 国広
形状 : 平造、三ツ棟、身幅広め、身幅の割に寸延びて、重ねやや薄く、反り浅くつく。
鍛 : 板目に杢交じり、肌立ってザングリとした特有な肌合となり、地沸つき、地景細かによく入り、かね黒みがかり、刃区下より斜めに水影が立つ。
刃文 : 直刃調浅くのたれ、下半焼幅をやや広め、互の目風僅かに交じり、小足少しく入り、沸よくつき、裏上半に小さく湯走り状を交え、細かに金筋・砂流しかかる。
帽子 : 直ぐに大丸風に浅く返り、先掃きかける。
彫物 : 表裏に梵字を刻し、その下、表に護摩箸、裏に腰樋を共に掻き流す。
茎 : 生ぶ、先刃上がりごころの栗尻、鑢目筋違、目釘孔一。

説明:

堀川国広は、もと九州日向の飫肥の城主であった伊東家に仕えた武士で、同家が没落したのち諸国を遍歴しつつ鍛刀の技術を磨き、その間各地で作刀した。慶長4年以後は、京都一条堀川に定住し、多くの優れた弟子を育て、慶長19年に歿したといわれる。彼の作風は概ね二様に大別され、堀川定住以前の作(天正打)には、末相州や末関風のものが見られ、定住後の作(慶長打)は、それらのものと作風を異にして、相州上工に範をとったと想われるものが多い。

本作は、身幅広めにして、寸が延び、反りの浅くついた平身の鍛刀姿を呈し、鍛えは板目に杢が交じり、肌立ってザングリとした堀川物特有な肌合に、地沸つき、地景が細かによく入っており、刃区下より斜めに水影が立っている。刃文は直刃調に浅くのたれ、互の目風僅かに交じり、小足少しく入り、沸よくつき、細かに金筋・砂流しがかかるなどの出来口をあらわしている。

上記の作風に加えて、刀身に施されている彫物から、相州上工、就中、貞宗或は信国あたりに範をとったと想われる作域を示している。焼幅をやや低く取った直刃基調の浅いのたれに、下半の焼幅を少しく広め、互の目風を交えて、刃取りに変化をもたせ、沸がよくつき、刃中に細かに働き、裏上半には小さく湯走り状がかかるなど、古色の趣を醸し出している。また前述の如く、鍛えの肌合や水影が見られる点などには、彼の特性が窺える。穏やかな作風を見せた同作中の優品である。なお銘振りから鑑て、制作年代は慶長8年頃と鑑せられる。平成26年(2014)に開催された「堀川国広とその一門」展に出品された。

備考:

新刀 最上作

大業物

 

本間薫山先生鞘書 「洛陽一条堀川住国広 刃長九寸二分 甲寅 薫山誌(昭和49年)」

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