商品詳細
刀 津田越前守助広 延宝五年八月日 (新刀最上作)(大業物) Katana [Echizen_no_kami Sukehiro]
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文部省 重要美術品 Agency for Cultural Affairs Art treasures
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No. F00197
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白鞘 金着二重鎺
日本刀大鑑・趣味の日本刀・古刀新刀名品集・越前守助広大鑑・助広大鑑・昭和刀剣名物帳 所載 |
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刃長 : 71.0cm (2尺3寸4分) 反り : 6.5cm (4分) 元幅 : 3.0cm 先幅 : 2.1cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.5cm |
登録証: 福岡県教育委員会昭和26年02月16日 |
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鑑定書: 文部省重要美術品認定書 昭和24年05月26日 |
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説明: 津田越前守助広は、寛永14年、摂津国打出村に生まれた。初代:そぼろ助広の門に学び、明暦元年、師の歿後二代目を継いでいる。明暦3年、越前守を受領し、寛文7年には大阪城代:青山因幡守宗俊に召し抱えられ、天和2年、46歳で歿している。 その作風は、初期の頃には師風を承けた丁子刃を、次いでやや角ばる互の目乱れを焼き、そしてついに助広の独創になる濤欄乱れを完成するに至り、これが一世を風靡するところとなった。この濤欄乱れの完成はほぼ延宝4年頃といわれ、それ以前にもその兆しとなるものがあり、さらに助広の作域には終始直刃も得意としている。一般に助広の場合、左右の傾斜が同じ角度の大互の目を焼いた出来のものまで濤欄乱れと称する向きがあるが、これはあくまで大互の目乱れであり、厳密には片方の傾斜がなだらかで片側が急峻となる形態の刃紋が濤欄刃であって、それがいかにも波濤を想わせ荒波の実在感を現出している。随処に左から打ち寄せる波と右からの波が対となって、その間に角ばる波底が形成される刃取りを見せ、処々に波の飛沫に見立てた玉を添えている。 この刀は延宝5年、助広41歳の時の作品で、姿は身幅・重ねが尋常で、元先の幅差がややあり、浅く反りがつき、中鋒が延びごころに結んだ美しい姿形を呈す。地鉄は、小板目肌が極めて細かによくつみ、地沸を微塵に厚く敷き、地景入り、かねがよく冴えて、強く、みずみずしく潤いが感ぜられる。刃紋は、大互の目が総じて濤欄乱れとなり、ゆったりとし、処々に玉を焼き、足入り、匂深く、小沸が厚くつき、谷に砂流しかかり、匂口が明るく冴えている。さすがに延宝5年の作であり、完成された濤欄乱れは一点の破綻もなく、見事という他に形容する言葉が見つからない。常々の作よりもさらに数段も匂口が深く、砂流しがささやかにかかり、匂口が明るく冴えわたっており、重要美術品であることを改めて認識させられる思いがする。数多の名品を世に輩出した助広であるが、その中でも五指に必ず入るであろう白眉といえる。 助広の国指定品は、重要文化財に濤欄刃の1振(延宝7年)があり、他に重要美術品に8振が認定されている。その内、5振(延宝元年・延宝3年・延宝5年・延宝5年・延宝8年)は乱れ出来となり、残り3振(延宝7年・延宝7年・天和元年)は直刃出来となる。乱れ出来の5振も、厳密には2振(延宝元年・延宝3年)は大互の目乱れで、濤欄刃は本作を含め3振(延宝5年・延宝5年・延宝8年)となっている。よって、重要文化財・重要美術品併せて9振のうち濤欄刃は4振(延宝5年・延宝5年・延宝7年・延宝8年)ということになる。 前述の通り、濤欄刃の完成は延宝4年頃(40歳)と目されているが、その技倆と体力的にも円熟期を迎え多くの名品を生み出したのは延宝3年~8年頃(39~45歳)といわれている。実際に、重要文化財・重要美術品の9振うち、そのほとんどの7振(延宝3年・延宝5年・延宝5年・延宝7年・延宝7年・延宝7年・延宝7年・延宝8年)がこの期間に該当し、他に特別重要刀剣では井上真改との合作(延宝3年)や青山家伝来の名号「村雨」(延宝6年)も同様となる。 |
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備考: 新刀 最上作 大業物 日本刀大鑑・趣味の日本刀・古刀新刀名品集・越前守助広大鑑・助広大鑑・昭和刀剣名物帳 所載 ※ 重要美術品等認定物件は,文化財保護法及び関係法令により,原則として海外への輸出(持ち出し)が禁止されています。 |