商品詳細
大刀剣市 カタログ掲載品 |
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刀 (無名)二字国俊(古刀最上作)(大業物) Katana [Niji Kunitoshi]
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文部省 重要美術品 Agency for Cultural Affairs Art treasures
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No. F00191
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(附) 黒呂色塗貝塵地鞘打刀拵
白鞘 金無垢二重ハバキ 水町袈裟六氏 旧蔵 |
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刃長 : 73.2cm (2尺4寸1分5厘弱) 反り : 1.8cm (6分) 元幅 : 3.2cm 先幅 : 2.3cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.5cm |
登録証: 秋田県教育委員会昭和26年05月10日 |
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鑑定書: 文部省重要美術品認定書 昭和10年05月10日 |
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説明: 国俊は来国行の子と伝え、現存する作品には、銘字に「来」の字を冠しない所謂「二字国俊」と、「来国俊」三字銘に切るものとがあり、両者の関係については古来、同人説・別人説の両説が唱えられ未だ決着を見ない。二字国俊には唯一、弘安元年の年紀を有する太刀があり、重要文化財指定の正和4年75歳と行年の添えられた来国俊の太刀から逆算して38歳に当たることから年代的には同人であっても無理はないところである。しかしながら両者の作品を通観するに、二字国俊は身幅がたっぷりとして猪首鋒の豪壮な姿に、丁子の目立つ賑やかな乱れを焼き、片や来国俊は細身の優しい姿に直刃か直刃に小模様の乱れを交える穏やかな刃文を焼くものが多く、ある程度作域的に区分がなされることから、同人・別人の両説が唱えられている。 本刀は、身幅広めに、鎬幅が広く、中鋒が猪首風となり、手持ちがズシリと重く、力強い姿態を示し、極めて健体である。地鉄は、小板目肌がよく錬れて、地沸が厚くつき、地景が細かによく入り、沸映りがたち、かね冴えて精美なものとなる。刃文は、直刃調浅くのたれごころに、小丁子・小互の目などを交え、乱れ、中程より下にはやや大きめの頭の丸い丁子を独立して配し、足・葉さかんに入り、匂深く、輝く沸つき、金筋入り、砂流しかかり、刃縁に湯走り風の沸筋を交え、匂口明るく冴える。地刃共によく沸づき冴え、腰元には蛙子風の頭の丸い丁子を独立して焼くなど、二字国俊の作風が随処にしめされた優品で、非常に健体であることも好ましい。重要美術品認定の二字国俊極めのなかでも最右翼と言っても過言ではない。 附帯する黒呂色塗貝塵地鞘打刀拵も作品にあった格調高いものとなっている。本間薫山先生の調書に依れば、枢密顧問官などを歴任した水町袈裟六氏の旧蔵と伝える。
<水町袈裟六について>
水町 袈裟六(みずまち けさろく、元治元年3月11日(1864年4月16日) - 昭和9年(1934年)7月10日)は、日本の官僚。学位は法学博士。大蔵次官、英仏駐在財務官、日本銀行副総裁、会計検査院長、枢密顧問官を歴任。横浜正金銀行頭取。法政大学総長。 佐賀藩士水町邦実の次男として生まれる。水町家は佐賀藩の重臣の家系。佐賀変則中学校、大学予備門を経て、帝国大学法科大学(現東京大学法学部)を卒業後、1891年に大蔵省(現在の財務省)に入省。 理財局長、大蔵次官、英仏駐在財務官を歴任し、1911年に大蔵省を退官して日本銀行副総裁(~1919年)に就任した。1913年には横浜正金銀行(現三菱UFJ銀行)の頭取も兼任している。日銀副総裁を退任した後は、会計検査院の院長(1924年~1929年)も務め、明治、大正期の金融財政のプロフェッショナル、国家財政の重鎮として活躍した。 その功績が認められ、1929年には枢密顧問官に抜擢され、晩年は法政大学の総長として逝去するまで務めた。なお、母校の東京帝国大学から法学博士の学位を受けている。 (Wikipediaより) |
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備考: 古刀 最上作。 大業物
重要美術品において、二字国俊・来国俊の極めは、国俊は「二字国俊」、来国俊は「来国俊」を指します。よって、本作は「二字国俊」の極めとなります。 ※ 重要美術品等認定物件は,文化財保護法及び関係法令により,原則として海外への輸出(持ち出し)が禁止されています。 |