商品詳細
刀 津田越前守助広 天和元年十月日 (新刀最上作)(大業物) Katana [Echizen_no_kami Sukehiro]
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第31回重要刀剣 NBTHK Jyuyo Paper No.31
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No. F00160
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白鞘 本間薫山先生鞘書 上貝金無垢二重時代鎺
藤代名刀図鑑 所載 |
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刃長 : 65.3cm (2尺1寸5分半) 反り : 1.4cm (4分半) 元幅 : 2.85cm 先幅 : 1.85cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.5cm |
登録証: 福井県教育委員会昭和26年05月17日 |
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鑑定書: (公)日本美術刀剣保存協会重要刀剣指定書 昭和59年10月18日 |
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説明: 津田越前守助広は、寛永14年、摂津国打出村(現:芦屋市)に生まれ、通称を甚之丞といい、初代:そぼろ助広の門に学び、明暦元年、師の歿後二代目を継いだ。明暦3年、越前守を受領し、寛文7年には大坂城代:青山因幡守宗俊に召し抱えられ、天和2年、46歳で歿している。作風は初期には石堂風の丁子乱れを、ついで互の目乱れを焼き、さらに濤欄乱れという独特の刃文を創始し、世に絶賛を博した。同地大坂の井上真改と共に大阪新刀を代表する双璧であり、新刀期の名工としも東の横綱:長曽弥虎徹興里と西の横綱:津田越前守助広として長く並び称されている。 この刀は、直刃調に浅くのたれた刃を焼き、匂深く、小沸がよくつき、金筋・砂流しがかかり、匂口が冴えるなど一見真改の作風を思わせるものであるが、真改に比しては沸の粒が細微であり、刃縁には例の奉書紙を裂いたような働きが顕著である。また、助広が直刃を焼いた場合、造込みも細身となり、刃文は横手下に浅い互の目を焼き、横手辺から焼幅を広めて、帽子もやや直線的になる。特筆すべきは地鉄であり、小板目肌が極めてよくつみ、地沸を微塵に厚く敷き、みずみずしく潤いのある冴えたものとなり、地鉄が精良なることは、井上真改、近江守助直、一竿子忠綱など他の大坂新刀諸工の追随を許すものではない。助広の直刃の特色がよく示された一口で、同作中の傑作である。なお、「天和元年十月日」の年紀は助広の最晩年の作品にあたり、他に十一月・十二月のものが現存するが、助広研究上貴重な資料である。 余談ながら、助広の国指定品は、重要文化財(延宝7年)が1振、他に重要美術品が8振認定されている。その内、5振(延宝元年・延宝3年・延宝5年・延宝5年・延宝8年)は濤欄乱れとなり、残り3振(延宝7年・延宝7年・天和元年)は直刃出来となっており、助広の直刃が高く評価されていることが窺い知れる。尚、重要文化財・重要美術品併せて9振のうち、「角津田」銘(延宝元年)の1振を除いて、残り8振は全て「丸津田」銘となっており、やはり、「丸津田」に優れた作品が多い傾向となる。 |
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備考: 新刀 最上作 大業物 本間薫山先生鞘書 「津田越前守助広 天和元年紀 刃長二尺一寸五分半 昭和癸亥年葉月 薫山誌(花押) |