保存刀剣 NBTHK Hozon Paper |
No.F00060 |
(附) 朱呂色塗鞘合口拵 白鞘 金着一重牡丹祐乗鑢ハバキ |
売 約 済 |
刃長 : 14.6cm (4寸8分弱) 反り : なし 元幅 : 1.8cm 元重 : 0.5cm |
登録証 : 東京都教育委員会 昭和14年01月08日 |
国 : 東京都 時代 : 明治時代 明治45年(大正元年) 1912年 |
鑑定書 : (公)日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書 平成18年03月29日 |
銘 : 帝室技芸員菅原包則八十三歳 明治四十五年五月吉日 |
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形状 : 鍛 : 刃文 : 帽子 : 彫物 : 茎 : 平造、庵棟、細身、重ねやや厚く、小振りの可愛らしい御守短刀姿。 板目、総体に柾がかり、地沸つき、地景入る。 直ぐ調に、小互の目交じり、足入り、小沸つき、砂流し細かにかかる。 直ぐに小丸に返る。 表に「サムハラ」、裏に「寿」の文字を陰刻。 生ぶ、先栗尻、鑢目切、目釘孔一。 |
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拵 : 朱呂色塗鞘合口拵 総長 : 27.8cm |
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説明 : 宮本包則は、天保9年、伯耆国に生まれ、23才の時、横山祐包の弟子となる。慶応2年、「能登守」に任ぜられる、後上京して、明治39年、「帝室技芸員」に任命される。作品は安政3年より大正9年までの64年間の長きの亘る。大正15年、東京にて97才没。墓は豊島区駒込の染井墓地にある。包則は晩年には皇室関係の作品を数多く製作している。 この短刀に、刻印された「サムハラ」とは、「万難を除ける」の意があり、戦場の弾除けなどに用いられた御守りの文字である、といわれている。包則の晩年作の刀、或いは短刀にまま見受けられ、当時の世相を窺い知ることが出来る。また、包則は晩年に皇族関係をはじめとする貴人に多くの注文を受けている。裏銘に、注文銘がされていたが、現在は消されていて不明であるが、想像するに相当な有名の方の御守り短刀であったと思料される。見事な金着一重牡丹祐乗ハバキ、朱呂色塗鞘合口拵がそれを物語っている。 表に「サムハラ」、裏に「寿」とあり、誠に縁起の良い短刀である。 |
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<サムハラについて>
「サムハラ」とは、四字の神字を身につけることにより「万難を除ける」秘術・まじないと伝えられる。そのエピソードは数知れず、古くは、古代中国の生命の守護神とされ、孔子の弟子:曹氏がこの神を信仰していたおかげで、生涯を無事終えることができたといわれる。 日本では、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した折に、加藤清正が自身の刀に「サムハラ」の文字を彫刻していたために九死に一生を得たという。多くの武士のあいだでも信仰の対象となっていたようである。 近代に至って、日清・日露戦争の頃にも、戦場でも弾除けなどとして「サムハラ」は多くの人々の厚い信仰を受ける。 現在でも、「サムハラ」を信仰する神社が各地に存在する。
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備考 : 帝室技芸員 新々刀 上作
指裏、年紀の左側に所持者銘を削除した痕跡がみられます |