特別保存刀剣 NBTHK Hozon Paper |
No.A00494 |
白鞘 赤銅鍍金ハバキ |
売 約 済 |
刃長 : 22.6cm (7寸4分) 反り : 内反り 元幅 : 2.1cm 元重 : 0.6cm |
登録証 : 岐阜県教育委員会 昭和46年11月05日 |
国 : 岩代国 (福島県-西部) 時代 : 近代 明治初年頃 1868年頃 |
鑑定書 : (公)日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣鑑定書 平成29年02月02日 |
銘 : 和泉守兼定 於北越加茂造之 |
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形状 : 鍛 : 刃文 : 帽子 : 茎 : 平造、庵棟、身幅尋常、重ねやや厚く薄く、小振りの短刀姿を呈す。 小板目肌よく錬れてつみ、わずかに柾がかり、地沸つき、地景入る。 中直刃、、匂本位に小沸つき、匂口明るい。 直ぐに小丸に長く返り、先掃きかける。 生ぶ、先栗尻、鑢目筋違、目釘孔一。 |
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説明 : 会津兼定は、室町期の濃州関兼定の三代目にあたる孫を古川孫一郎または孫四郎といい、慶長年間に会津藩主:蒲生氏郷の鍛冶となり、奥州兼定の初代となる。以後、古川兼定家は会津における最も古い刀工の家柄となり、幕末まで刀鍛冶として連錦をかざり、三善長道、松軒元興らと共に会津を代表する刀工である。十一代和泉守兼定はその最後を飾る良工である。 十一代兼定は天保8年12月13目、現在の会津若松市浄光寺町一番地に生まれ、幼名を友哉と称した。14才の時から父:十代兼定について鍛法を学ぶ。初銘を兼元と切り、十代兼定の代作代銘をなす。文久2年、会津藩主:松平容保公が京都守護職に任命されると、翌文久3年、幼名を清右衛門と改め、京都に上がり修業しつつ、和泉守を受領し、慶応元年に会津に帰る。受領後、刀銘は和泉守兼定と切る。新選組隊士の為に作刀したのはこの頃であり、副長:土方歳三の佩刀は慶応三年紀のもので、現在も東京日野市の生家に伝わっている。明治36年、67才にて没する。菩提寺は会津若松市実相寺、戒名は精錬印鉄心利剣居士。 本作は裏に製作年紀が無いものの「於北越加茂造之」と駐追銘があり、明治初年頃の加茂打ちであることがわかる。兼定は明治2年より越後国(新潟県)加茂に行き、同7年まで加茂打ちが確認され、同9年に会津へ帰っている。本作は銘振りより明治4年頃のものであろうか。この頃の加茂打ちには長い刀よりも、本作のような短刀が比較的に多く見うけられ、加茂近郊の有力者からの注文打ちであろうか。 |
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備考 : 新々刀 上作。
刃区がわずかに欠けています。 古研ぎのため、全体にわずかな薄錆、細かなヒケがみられます。 |