特別保存刀剣 NBTHK Hozon Paper |
No.A00468 |
(附) 黒石目地塗鞘打刀拵 白鞘 金着一重ハバキ |
売 約 済 |
刃長 : 66.5cm (2尺1寸9分半) 反り : 1.0cm (3分) 元幅 : 2.8cm 先幅 : 1.7cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.45cm |
登録証 : 新潟県教育委員会 昭和33年09月16日 |
国 : 岩代国 (福島県-西部) 時代 : 近代 明治2年 1867年 |
鑑定書 : (公)日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣鑑定書 平成28年03月23日 |
銘 : 和泉守兼定 明治二巳年二月日 |
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形状 : 鍛 : 刃文 :
帽子 : 茎 : 鎬造、庵棟、身幅尋常、重ね厚め、元先の幅差ややつき、反り浅め、中鋒となる。 小板目肌よくつみ、地沸微塵につき、地景入る。 中直刃、浅くのたれごころを帯び、匂深く、小沸厚くよくつき、金筋入り、砂流しかかり、匂口明るく冴える。 横手下より刃幅を増し、直ぐに小丸に返り、先掃きかける。 生ぶ、先刃上がり栗尻、鑢目筋違、目釘孔一。 |
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拵 : 鐔 :
柄 :
縁頭 :
目貫 : 黒石目地塗鞘打刀拵 総長 : 98.2cm 寒山拾得図、撫角形、真鍮縮緬地、鋤出高彫象嵌色絵、耳鋤残し、片櫃孔埋、銘:常重 高さ:7.3cm 幅:6.8cm 厚さ:0.55cm 白鮫着、黒糸柄巻。長さ:25.0cm 三顧の礼図、赤銅魚子地、高彫、色絵、無銘 高さ:3.9cm 幅:2.3cm 倶利伽羅図、赤銅容彫 |
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説明 : 会津兼定は、室町期の濃州関兼定の三代目にあたる孫を古川孫一郎または孫四郎といい、慶長年間に会津藩主:蒲生氏郷の鍛冶となり、奥州兼定の初代となる。以後、古川兼定家は会津における最も古い刀工の家柄となり、幕末まで刀鍛冶として連錦をかざり、三善長道、松軒元興らと共に会津を代表する刀工である。十一代和泉守兼定はその最後を飾る良工である。 十一代兼定は天保8年12月13目、現在の会津若松市浄光寺町一番地に生まれ、幼名を友哉と称した。14才の時から父:十代兼定について鍛法を学ぶ。初銘を兼元と切り、十代兼定の代作代銘をなす。文久2年、会津藩主:松平容保公が京都守護職に任命されると、翌文久3年、幼名を清右衛門と改め、京都に上がり修業しつつ、和泉守を受領し、慶応元年に会津に帰る。受領後、刀銘は和泉守兼定と切る。新選組隊士の為に作刀したのはこの頃であり、副長:土方歳三の佩刀は慶応三年紀のもので、現在も東京日野市の生家に伝わっている。明治36年、67才にて没する。菩提寺は会津若松市実相寺、戒名は精錬印鉄心利剣居士。 本作は裏に明治2年紀があることから、兼定が越後国加茂に移ってからのいわゆる「加茂打ち」となる。形状は、鎬造、庵棟、身幅尋常、重ね厚め、元先の幅差ややつき、反り浅め、中鋒となる。地鉄は、小板目肌よくつみ、地沸微塵につき、地景入る。常々、経眼する兼定の作品は処々に柾がかった箇所が見受けられるところであるが、本作は柾がかることなく精美な肌合いとなり潤いが感じられる。刃文は、 中直刃、浅くのたれごころを帯び、匂深く、小沸厚くよくつき、金筋入り、砂流しかかり、匂口明るく冴える優れた出来映えをみせている。 |
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備考 : 新々刀 上作 |