上林恒平

無鑑査 Mukansa

No.A00436

白鞘  銀無垢二重ハバキ

刀身彫刻の精華 所載

     売 約 済

刃長 : 42.0cm  (1尺3寸8分) 反り : 0.9cm  (2分)

元幅 : 3.6cm 元重 : 0.65cm

登録証

山県県教育委員会

昭和62年03月19日

: 山県県

時代 : 現代 昭和62年 1987年

鑑定書

失意泰然 恒平作

昭和六十二年春吉日 彫仙寿(花押)

形状

刃文

 

帽子

彫物

平造、三ツ棟、身幅広く、重ね厚く、反り浅くつく。

板目よくつみ、わずかに柾がかり、地沸微塵に厚くつき、地景入る。

のたれ調に大互の目・小互の目交じり、足入り、匂深く、沸よくつき、金筋入り、細かに砂流しかかる。

直ぐに大丸ごころに返り、先掃きかける。

表裏、櫃内に這龍を透かし彫りにする。

生ぶ、先栗尻、鑢目逆筋違、目釘孔一。

説明

 上林恒平刀匠は、本名を勇二といい、昭和24年1月12日に山形県鶴岡市(旧:藤島町)に生まれる。昭和42年、鶴岡工業高等学校を卒業後、長野県の重要文化財保持者(人間国宝):宮入昭平刀匠に入門する。昭和48年に文化庁より作刀承認を受け、同年に新作名刀展に初出品して努力賞を受賞する。昭和51年に独立し、高松宮賞2回、文化庁長官賞4回、薫山賞1回、努力賞4回、奨励賞2回など数多く受賞する。昭和54〜60年までの間には、2年連続の高松宮賞を含む、7年連続の特賞受賞という偉業を成し遂げ、昭和60年には36歳の若さで無鑑査に認定される。昭和61年、山形市大字長谷堂に鍛刀場を開設し、多くの名刀を鍛刀するととともに、刀身彫刻の技は柳村仙寿師に学ぶ。平成20年には、山形県指定無形文化財に認定される。作風は、相州伝をもっとも得意とし、志津三郎兼氏に私淑し、よく鍛えられた地鉄に、たおやかな大湾れを焼き、刃沸がよくついた覇気に溢れたものとなる。

 柳村仙寿師は、本名を重信といい、昭和20年3月12日に生まれる。初め、独学で彫金の修行を始め、昭和47年より刀身彫刻の技術を苔口仙e師に学ぶ。平成7年、岡山県重要無形文化財の保持者に認定される。平成9年、(財)日本美術刀剣保存協会より無鑑査に認定される。

 欄間透しとは、刀身の彫物のひとつで、鴨居の上の欄間にみるような、透し彫りになったものをいう。それには、「彫貫盛光」のように、龍を容彫りにして透した複雑なから、「包丁正宗」のように、素剣や護摩箸を透した簡単なものまである。新刀期には越前記内が彫物を施したものなどがまま見受けられる。

 本作は、平造、三ツ棟、身幅広く、重ね厚く、反りの浅くついた大脇指となる。地鉄は、板目がよくつみ、総じてわずかに柾がかり、地沸が微塵に厚くつき、地景入る。刃文は、のたれ調に大互の目、少しく小互の目交じり、足入り、匂深く、沸よくつき、金筋入り、細かに砂流しかかるといった優れた出来映えを呈す。腰元を焼出し風に低くとり、下部の焼刃がやや低めであるのは刀身の彫刻を想定したためと思量され、埋忠明寿ら刀身彫刻を得意とした刀工の作品にはまま見受けられる。櫃内に、玉を持った這い龍を透かし彫りで表現され、力強く躍動感に溢れている。欄間透しは、通常の肉彫や浮き彫に比べても難易度が非常に高く、柳村仙寿師の技倆の高さが窺い知られる。

 銘文にある「失意泰然」(しついたんぜん)とは、失意の時、物事がうまく行っていない時、逆風に逆らって向かっている時、あるいはどん底の時に、悠然と構え、何事にも動ぜず、ゆったりと落ち着いて行動することを意味する。

備考

無鑑査

 

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