保存刀剣 NBTHK Hozon Paper |
No.A00434 |
白鞘 素銅一重ハバキ (附) 変り塗鞘合口拵 短刀箱 |
売 約 済 |
刃長 : 15.4cm (5寸1分弱) 反り :内反り 元幅 : 1.7cm 元重 : 0.5cm |
登録証 : 東京都教育委員会 昭和61年07月10日 |
国 : 岩代国 (福島県-西部) 時代 : 近代 明治初年頃 1868年頃 |
鑑定書 : (公)日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書 平成27年08月17日 |
銘 : 和泉守兼定(会津・十一代) |
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形状 : 鍛 : 刃文 : 帽子 : 茎 : 平造、庵棟、身幅やや狭く、重ね薄く、小振りの短刀姿を呈す。 小板目肌よく錬れてつみ、総じて柾がかり、地沸つき、地景入る。 中直刃、、匂本位に小沸つき、匂口明るい。 直ぐに小丸に長く返り、先掃きかける。 生ぶ、先栗尻、鑢目筋違、目釘孔一。 |
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拵 : 柄 : 目貫 : 小柄 : 変り塗鞘合口拵 総長 : 26.4cm 黒鮫着、茶革柄巻。長さ:7.5cm 扇図、鉄容彫 虎図、四分一地、鋤出高彫 縦:6.4cm 横:1.0cm |
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説明 : 会津兼定は、室町期の濃州関兼定の三代目にあたる孫を古川孫一郎または孫四郎といい、慶長年間に会津藩主:蒲生氏郷の鍛冶となり、奥州兼定の初代となる。以後、古川兼定家は会津における最も古い刀工の家柄となり、幕末まで刀鍛冶として連錦をかざり、三善長道、松軒元興らと共に会津を代表する刀工である。十一代和泉守兼定はその最後を飾る良工である。 十一代兼定は天保8年12月13目、現在の会津若松市浄光寺町一番地に生まれ、幼名を友哉と称した。14才の時から父:十代兼定について鍛法を学ぶ。初銘を兼元と切り、十代兼定の代作代銘をなす。文久2年、会津藩主:松平容保公が京都守護職に任命されると、翌文久3年、幼名を清右衛門と改め、京都に上がり修業しつつ、和泉守を受領し、慶応元年に会津に帰る。受領後、刀銘は和泉守兼定と切る。新選組隊士の為に作刀したのはこの頃であり、副長:土方歳三の佩刀は慶応三年紀のもので、現在も東京日野市の生家に伝わっている。明治36年、67才にて没する。菩提寺は会津若松市実相寺、戒名は精錬印鉄心利剣居士。 本作は裏に年紀が無いものの文久3年に「和泉守」を受領後の作品となっている。兼定は最初期の兼元銘から京で和泉守を受領した直後までは「兼」の字の「縦の二本」を通常の長さで切る。京から会津へ帰国した慶応以後の兼定銘は全て「縦の二本」の左側を短く切る。本作は、左側を短く切っており、また、銘字が太鏨で堅い感じのものでなく、細鏨で銘字がのびやかであり、「和」の字の「口」がおおきくなっている点などからして明治初年頃の加茂打ちであろうか。この頃の加茂打ちには長い刀よりも、本作のような短刀が比較的に多く見うけられる。加茂近郊の有力者からの注文打ちであろうか。 箱書に懐剣とあるように5寸1分弱(15.4cm)の小振りの短刀で、地鉄は、さすがに小板目肌がよく錬れて、地沸つき、地景入り、精美となる。。刃文は中直刃に匂本位に僅かに小沸がつき、匂口は明るく冴える。附帯する変り塗鞘合口拵と素銅ハバキは制作当時のもので資料的にも貴重といえる。箱書の文字は十一代兼定自身の書風に近いものがある。 |
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備考 : 新々刀 上作。
短刀箱 「和泉守兼定作懐剣」 鋒の先端にわずかな薄錆、表裏の平地に細かなヒケがみられます。 短刀拵は鉄金具のため錆がみられます。 |