土佐守忠吉

保存刀剣 NBTHK Hozon Paper

No.A00397

白鞘  銀鍍金ハバキ

     売 約 済

刃長 : 66.6cm  (2尺2寸弱) 反り : 2.2cm  (7分)

元幅 : 2.8cm 先幅 : 2.1cm 元重 : 0.6cm 先重 : 0.5cm

登録証

千葉県教育委員会

平成18年06月16日

: 肥前国 (佐賀県・長崎県)

時代 : 江戸時代初期 寛永頃 1624-1643年頃

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

保存刀剣鑑定書

平成19年03月16日

□人土佐守藤原(以下切)(忠吉)

形状

 

刃文

 

帽子

鎬造、庵棟、身幅尋常、重ね厚めに、鎬筋高く、磨上ながらも反りつき、中鋒となる。

板目に杢交じり、総体に柾がかり、肌立ちごころに、大肌をみせ、地沸厚くつき、地景入り、鉄色黒みがかる。

のたれを基調に互の目・小互の目交じり、足入り、沸よくつき、処々叢だち、砂流しかかる。

直ぐ調にのたれて短く返り、先掃きかける。

磨上(約7.0cm)、先栗尻、鑢目勝手下がり、目釘孔二。

説明

 土佐守忠吉については、いかなる刀工であるのか不明な部分が多く、諸説紛々として定かではない。彼は、一説に初代忠吉の一族、或いは門人ともいうが、この点についても明かではない。しかし、初代忠吉とは非常に密接な関係にあったことだけは確かなようである。彼は、その半生を初代忠吉の協力者として終わったためか、現存する作刀は稀である。初代忠吉が寛永元年、「武蔵大掾」を受領し、名を忠広と改めた際に、忠吉銘を譲られ、その後「土佐掾」、さらには「土佐守」を受領したという。同作中に、「寛永五年」紀の作刀が現存するが、それには任官銘がないことからして、おそらく受領はその後と思われる。後に長崎へ移住したとも伝えている。

 土佐守忠吉の作風は、初代忠吉に似るもやや異風のものが多いといわれている。本作もその例に漏れず、姿形は寛永の頃をおもわせる、身幅尋常に、重ねが厚めとなり、鎬筋が高く、反りが頃合いにつき、中鋒に結ぶ。地鉄は、板目に杢交じり、総体に柾がかり、肌立ちごころに、大肌をみせ、地沸厚くつき、地景入り、鉄色黒みがかるといった野趣のあるものとなる。刃文は、大きくたよやかなのたれを基調として互の目・小互の目交じり、足・葉少しく入り、沸よくつき、処々叢だち、砂流しかかり、匂口はやや沈みごころとなる。初代忠吉にもまま経眼されるところである肥前刀の直江志津写しの作風にて、地刃に古色がみられ、もし、無銘であったならば古作に紛れてしまいそうな出来映えとなっている。磨上げに伴う銘切れは惜しまれるものの土佐守忠吉の有銘作は珍しい。

備考

新刀 上作

 

刃区に欠けがみられます。わずかにヒケがあります。

土佐守忠吉1
土佐守忠吉2
土佐守忠吉3

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