無鑑査 Mukansa 平成六年新作名刀展 努力賞受賞作品 |
No.A00383 |
白鞘 素銅ハバキ |
売 約 済 |
刃長 : 64.1cm (2尺1寸1分) 全長 : 140.0cm 反り : 4.95cm (1寸6分) 元幅 : 3.2cm 元重 : 1.2cm |
登録証 : 神奈川県教育委員会 平成5年05月21日 |
国 : 神奈川県 時代 : 現代 平成五年 1993年 |
鑑定書 : |
銘 : 相模国住人廣木弘邦造 平成癸酉年五月日 |
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形状 : 鍛 : 刃文 : 帽子 : 彫物 : 茎 : 薙刀造、三ツ棟、身幅広く、重ね厚く、先反りつき、先にいって頭がはる。 板目よくつみ、精美にして、地沸つき、地景入る。 浅い小のたれを基調に互の目・小互の目交じり、足入り、匂本位に小沸つき、金筋入り、砂流しかかる。 直ぐ調に浅くのたれて、小丸尖りごころに返り、先掃きかける。 表に「破軍星之剣」、裏に「三身即一体」の文字を陰刻する。 生ぶ、先栗尻、鑢目勝手下がり、目釘孔二。 |
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説明 : 廣木弘邦刀匠は、本名を広木順一といい、昭和23年8月4日、福岡県に生まれる。幼少頃より父の広木国広刀匠に強く影響を受け、人間国宝:隅谷正峯刀匠に師事する。昭和43年、文化庁より作刀承認を得る。昭和48年、神奈川県厚木市に鍛刀場を開設する。平成8年、(財)日本美術刀剣保存協会の無鑑査に認定される。独自の地鉄の研究を重ね青江写しを得意としている。第4回刀文協新作日本刀展出品を最後に、平成25年5月、65歳で死去される。 この薙刀は、名将:宇喜多能家が、次郎左衛門尉勝光と与三左衛門尉祐定の二人に制作を命じた合作を廣木刀匠が写したものとなっている。その銘文は「備前国住長船次郎左衛門尉藤原勝光 同与三左衛門尉祐定 為宇喜多和泉守三宅朝臣能家作之 永正十八年二月吉日」と切られ、刃長は2尺1寸3分半(64.7cm)に及ぶ。表の「破軍星之剣」は陰陽道に基づくもので、陰陽道は、奈良時代中国から伝わり、天文・暦数・方位などによって吉兆を占った。「破軍星」は北斗七星の中の第七の星で剣の形をし、陰陽道ではその剣先を指す方向で戦うものは必ず敗れるという。我が国では妙見信仰といい、北辰妙見菩薩を主神に北極星や北斗七星を神格化し、これを信仰することで災いから守護されるものと考えられた。その本地は、薬師本地説に基づくもので、七星薬師のうちの浄瑠璃世界主破軍星は、戦いの守護神であるという。裏の「三身即一体」は、法身(仏の本体)、報身(法身の妙智果報によって現れた衆徳円満の体)、応身(衆生済度のために現れた体)の三つが即一体となることを誓ったものである。薙刀は鎌倉時代以来多く用いられたが、戦国時代になると、その用途に変化がみられ、大将が乗る馬のそばに立てられた馬印のように立てることによって、全軍の守護神のような存在にしたという。その後、本歌は、仙台伊達家に伝来し、同家では参勤交代の時、必ず行列の先頭に立てていたとの伝えがある。 |
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備考 : 無鑑査。 |