保存刀剣 NBTHK Hozon Paper |
No.A00306 |
尾張徳川家鞘書 蔵番:智二ノ三十八 元小結:富士錦猛光関 旧蔵 尾張刀工譜・剣美展-名士とその愛刀 所載 白鞘 金着二重ハバキ |
売 約 済 |
刃長 : 69.3cm (2尺2寸8分) 反り : 1.2cm (4分強) 元幅 : 3.2cm 先幅 : 2.3cm 元重 : 0.75cm 先重 : 0.6cm |
登録証 : 愛知県教育委員会 昭和28年04月14日 |
国 : 尾張国 (愛知県-西部) 時代 : 江戸時代中期 延宝頃 1673-1681年頃 |
鑑定書 : (公)日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書 平成24年01月27日 |
銘 : 尾州住藤原勝重 |
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形状 :
鍛 : 刃文 :
帽子 : 茎 : 鎬造、庵棟、身幅尋常、重ねやや厚く、反り浅く、平肉つき、中鋒に結ぶ寛文新刀然とした姿形を呈す。 小板目肌つみ、処々肌立ちごころとなり、地沸厚くつき、地景入る。 小のたれ調に互の目・小互の目・尖り刃・矢筈刃など様々な刃が交じり、乱れ、足入り、匂深く、小沸よくつき、金筋入り、砂流しかかり、飛焼をさかんに交え、皆焼風となる。 直ぐ調にわずかに乱れ、小丸に返り、先掃きかける。 生ぶ、先入山、鑢目鷹羽、目釘孔一。 |
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説明 : 勝重は、伊勢国の新刀千子正重の一派で、寛文から延宝頃にかけて作刀する。銘文に「勢州桑名住藤原勝重」「尾州名古屋住藤原勝重」などが遺されており、伊勢国桑名、尾張国名古屋の両地に居住したものと思われる。作風は、鑢目が鷹羽となるところからも新刀美濃伝をよくあらわし、板目肌に、互の目乱れ・直刃などを焼く。 本作は、重ねが厚く、平肉がよくつき、手にするとズシリと手持ちが重く、健全であることが窺い知れる。地鉄は、小板目肌がよくつみ、厚く地沸がつき、刃紋は、互の目乱れに、矢筈刃・尖り刃・角張る刃などを様々に交え、飛焼がさかんにかかり華やかなものとなる。指表の中程に数ヶ所にわずかな鍛え割れがあるものの、極めて健全であり、勝重の関心の一振りといえる。 お家流の古鞘書きは尾張徳川家のもので、尾張徳川家に伝来した一振りであることがわかる。本刀の蔵番は「智二ノ三十八」とあり、元来は共柄であったと推察される。なお、この刀は、昭和39年、元小結:富士錦猛光関が名古屋場所において優勝した記念に、同郷の後援者から、刀の銘が勝重であるところから「勝を重ねる」という縁起をかついで贈られたものである。 |
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<尾張徳川家 鞘書>
徳川将軍家・伊達家・上杉家・柳沢家などの各大名家の鞘書はそれぞれに特色あるものとなっている。尾張徳川家もその類に漏れず、尾張家の鞘は丸鞘(完全な丸鞘ではなく面をとる程度)で、柄は共柄となり、鞘と同じく少し面をとるか、完全に丸めたものもある。そして、尾張家の蔵番は、儒教における孔子が提唱した五常「仁義礼智信」の徳目を冠するのが通例となる。「仁一ノ十二」「仁二ノ八」などとあらわし、仁義礼智信の順序と数字が小さいほど珍重される。尾張徳川家刀剣台帳はいまも愛知県名古屋市の徳川美術館に保管されている。 |
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<富士錦関について>
富士錦 猛光(ふじにしき たけみつ、1937年3月18日 - 2003年12月17日)は、山梨県甲府市出身で高砂部屋所属の元大相撲力士。本名は一宮章(旧姓は渡辺)。身長175cm、体重136kg。得意手は突き、押し。最高位は小結。 1964年(昭和39年)、母の1周忌を済ませて臨んだ7月場所は誰しも驚く絶好調、大鵬、柏戸、栃ノ海の三横綱が休場不在とはいえ、豊山、佐田の山ら4人の大関をさしおいて14勝1敗で優勝した。上位での番付運に恵まれず小結で勝ち越すこと3回、さらに優勝までありながら関脇にはなれなかったが実力は関脇と認められている。史上初の最高位が小結の優勝力士になった。
(Wikipediaより) |
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備考 : 尾張徳川家伝来 蔵番:智二ノ三十八 「智二ノ三十八 尾州住藤原勝重御刀 銘之長貳尺貳寸八分」 徳川美術館(愛知県名古屋市)の尾張徳川家刀剣台帳を確認済
指裏、中程の三カ所に小傷があります。 |