|
No.A00270 |
白鞘 金着二重ハバキ |
売 約 済 |
刃長 : 25.0cm (8寸2分半) 反り : なし 元幅 : 2.25cm 元重 : 0.5cm |
登録証 : 静岡県教育委員会 昭和31年03月16日 |
国 : 東京都 時代 : 現代 昭和28年 1953年 |
鑑定書 : |
銘 : 起正作 (塚本起正) 昭和二十八年二月日 |
|
形状 : 鍛 : 刃文 :
帽子 : 茎 : 平造、三ツ棟、身幅・重ね共尋常にて、反り殆どなく、ふくらやや枯れる。 小板目肌つみ、総体に柾がかり、、地沸細かによくつき、地景入り、鉄冴える。 互の目乱れ、総体にやや逆がかり、足入り、匂本位にわずかに小沸つき、金筋入り、匂口明るく冴える。 浅く乱れ込み、やや尖りごころに深く返り、先掃きかける。 生ぶ、先栗尻、鑢目筋違に化粧つく、目釘孔一。 |
|
説明 : 塚本新八、大正4年に福島県郡山市に生まれる。越後山村正信末裔と言う。昭和8年8月24日、笠間一貫斎繁継に入門、後に娘婿となる。師匠であり義父である笠間一貫斎繁継と同じく一貫斎と号す。陸軍受命刀工(昭和18年)。昭和35年6月27日没、47才。また日本刀名鑑には昭和32年没、42才と言う。 世田谷区世田谷。 本作は、一見すると嘉永2〜3年頃の山浦清麿の左文字写しを髣髴させる塚本起正の会心作である。特に、指裏の突き上げて尖った帽子や刃中に力強く入った金筋、そして、地刃の冴えは昭和の名人:塚本一貫斎起正の面目躍如たる名短刀といえる。なお、起正には短刀の作品は希である。 余談ながら、この短刀の昭和二十八年二月日は非常に貴重な資料である。恐らく、起正は勿論のこと当時の刀匠達の中でも極めて戦後としては最初の年号ではなかろうか。即ち、昭和20年8月15日の終戦以降、多くの刀匠達はポツダム宣言の受託(命令文中には日本人の所有する日本刀剣類を含む武器一切の引き渡し条項が含まれる)、そして、勅令300号の発布(武器製造禁止令。これにより新作刀剣類製造は出来なくなった)により刀剣類を製作することが禁止されていたためである。その後、栗原彦三郎昭秀先生などのご尽力により、昭和27年、サンフランシスコ講和条約の記念刀や昭和28年、伊勢神宮における式年遷宮に用いる宝刀の製作を機会にようやく刀剣類の製作が許可された年でもある。起正が現代刀匠の再起をかけて製作した第一作目となる記念すべき短刀であり、作品にもその覇気がよくあらわれている。第一回目の作刀技術発表会が行われたのは昭和30年頃からであり、すべて昭和29年頃のものである。 |
|
備考 : 陸軍受命刀工 |