池田一秀

保存刀剣 NBTHK Hozon Paper

No.A00243

白鞘  七世正阿弥鞘書

金着二重ハバキ

      売 約 済

刃長 : 52.3cm  (1尺7寸2分半) 反り : 1.1cm  (3分)

元幅 : 2.5cm 先幅 : 1.8cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.4cm

登録証

山形県教育委員会

昭和49年05月27日

: 出羽国 (秋田県・山形県)

時代 : 江戸時代後期 文政十一年 1828年

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

保存刀剣鑑定書

平成23年02月25日

池田一秀入道竜軒

文政十一年十二月日

形状

刃文

 

帽子

鎬造、庵棟、身幅やや細く、重ね尋常、反り浅くつき、中鋒となる。

小板目肌よくつみ、地沸つき、地景入る。

中直刃を基調に、小互の目ごころの刃少しく交じり、足入り、匂本位にわずかに小沸つき、細かに砂流しかかり、明るい。

直ぐに小丸に返り、先掃きかける。

生ぶ、先刃上がり栗尻、鑢目筋違に化粧つく、目釘孔一。

説明

 池田一秀は、出羽国飽海郡の鍛冶職であった池田家三代伝兵衛(富一)の次男として生れ、本名を池田清内といい、勝秀、一秀、龍軒と称す。文化2年、山形藩秋元家の抱え工である水心子正秀が庄内来遊の折に門人となり鍛刀の技を会得する。同年庄内藩酒井家に召出されて3人扶持を給され鶴岡に居住、のちに水心子正秀の高弟:水生子昭秀を招いて近郊:井岡で修業する。文政2年、同じく水心子門人で米沢藩の刀工:加藤国秀について技を磨き、文化5年、剃髪して「龍軒」と号し、同7年、一代御職人、加増を重ねてのち10人扶持となる。天保十二年五月、六十九歳にて没し、鶴岡禅竜寺に葬られる。

 本作は、やや細身ながら優美な刀姿に、地鉄は、小板目肌よくつんでいる。刃文は、静謐な中直刃を基調に小互の目を交え、足入り、匂本位にわずかに小沸つき締まりごころとなり、細かに砂流しかかり、匂口が明るい。龍軒銘は、一秀が晩年に入道して龍軒と号したことに由来し、晩年の作として広く知られ、出来の優れたものが多い。棟に二カ所にわたり、刀の刃を受け止めた「誉れ傷」が古の武勲を物語っている。

備考

新々刀 中上作。

 

七世正阿弥鞘書

「池田一秀入道龍軒 文政十一年十二月日年紀有之 水心子正秀門人五拾六歳作 刃長壱尺七寸三分有之

昭和五拾八癸亥歳初春誌 七世正阿弥(花押)」

 

棟の物打ち辺と中程に二カ所切り込み傷があります。

池田一秀1
池田一秀2
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