柴田昊

保存刀剣 NBTHK Hozon Paper

No.A00235

現代刀工銘鑑 所載 本間薫山先生鞘書

白鞘  金着一重ハバキ

     売 約 済

刃長 : 25.2cm  (8寸3分強) 反り : 内反り

元幅 : 2.2cm 元重 : 0.55cm

登録証

秋田県教育委員会

昭和43年09月03日

: 秋田県

時代 : 現代 昭和40年 1965年

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

保存刀剣鑑定書

平成23年01月28日

昊 (花押)(柴田昊)

昭和四十季二月日

形状

 

刃文

 

帽子

平造、三ツ棟の中筋広く、身幅尋常、重ね厚め、内反りとなる品の良い短刀姿を呈す。

板目よく錬れてつみ、処々柾がかり、やや肌目がたち、地沸厚くつき、地景太く入り、鉄色黒みがかる。

浅い小のたれ調に互の目・小互の目交じり、足入り、匂深く、小沸よくつき、金筋入り、砂流しかかり、湯走り風を交え、匂口明るい。

のたれ込み地蔵風に小丸に返り、先さかんに掃きかける。

生ぶ、先浅い栗尻、鑢目勝手下がり、目釘孔一。

説明

 柴田昊(あきら・こう)刀匠は、本名を柴田清太郎といい、昭和の名人と名高い柴田果(あきら・か)の子で、明治39年8月13日に秋田県に生まれる。「昊」は父の名「果」と感じが似ており、強烈な光り輝く刀が作りたいところから、真夏の強烈な太陽光の意を持つ名を付けた。昭和12年より父:柴田果の助手として作刀、16年より20まで軍刀製作に従事する。戦後、作刀技術発表会に9回、新作名刀展に6回入選する。作風は、父:柴田果と同じく国光・行光・正宗・郷義弘・左文字・志津三郎兼氏などの相州伝上位の刀工を理想とし、地鉄は、よく錬れた鍛えに地景が太く入り、刃文は沸づいて刃中に金筋・砂流しなどがよく働いている。

 本作は、本間薫山先生の鞘書きにも「志津写」とある通り、古作:志津三郎兼氏を倣ったもので、就中、名物:稲葉志津を写している。地沸が厚く、地景が入り、やや黒めのみごとな鉄味をみせ、刃文は、小のたれ乱れに大互の目を交えて飛焼があり、互の目足を小沸深に入れて葉や金筋が自在にはたらき、物打ちの焼を高くして地蔵風の激しい帽子になるなど志津三郎兼氏の作中でも屈指の名短刀である本歌を忠実に写している。一見すると古作に紛れるばかりの優れた出来映えをあらわし、地鉄の妙味と刃中の働きには感嘆するばかりである。父:柴田果と同様に柴田昊も作品が少ない。

<稲葉志津について>

南北朝期の志津三郎兼氏の作。

刃長 : 25.3cm  (8寸3分5厘) 反り : 内反り

重要文化財指定。朱銘 志津 光徳(花押)

兼氏随一の豪華な作で、名物:日向正宗の作風を偲ばせる。兼氏と正宗との関係もこの作にうかがわれ、茎の仕立てにもそのような気配が看取される。

美濃清水城主:稲葉一鉄の孫:稲葉蔵人道通の所用にかかり、徳川家康を経て黒田家に伝来した。

備考

本間薫山先生鞘書

「柴田昊 志津写 薫山誌 (花押)」

 

指表の鋒にわずかに当たり状の小錆がみられます。

柴田昊1
柴田昊2
柴田昊3
柴田昊4
柴田昊5

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