商品詳細

刀 近江守藤原継平 (新刀上作)(業物)

(金象嵌) 雷電 三ツ胴両三度落 天和元年辛酉十一月十九日

冨田弥一左衞門尉断之重綱(花押)

Katana [Ohminokami Tsuguhira,Kinzogan Setsudanmei]
第49回重要刀剣
NBTHK Jyuyo Paper No.49
No. A00220
(附) こげ茶変塗鞘打刀拵
白鞘 金着二重鎺
康継大鑑 所載

刃長 : 71.25cm  (2尺3寸5分弱) 反り : 1.8cm  (6分)

元幅 : 3.15cm 先幅 : 2.1cm 元重 : 0.75cm 先重 : 0.55cm

登録証:

東京都教育委員会
平成17年12月13日
国: 武蔵国 (東京都・埼玉県・神奈川-東部)
時代: 江戸時代中期 貞享頃 1684-1687年頃

鑑定書:

(公)日本美術刀剣保存協会
重要刀剣指定書
平成15年10月09日
銘: 近江守藤原継平
(金象嵌) 雷電 三ツ胴両三度落 天和元年辛酉十一月十九日
冨田弥一左衞門尉断之重綱(花押)
形状 : 鎬造、庵棟、身幅広く、元先の幅差つき、身幅の割に鎬幅広く、重ね厚く、踏張りがあり、反りやや深めにつき、中鋒延びごころとなる。
鍛 : 板目に杢・流れ肌交じり、総じて肌目立ちごころとなり、地沸微塵につき、地景細かによく入り、かな色少しく黒みがかり、白け映り淡く立つ。
刃文 : 広直刃を基調に、表:物打辺小互の目連れて交じり、互の目足・小足さかんに入り、葉を交え、匂やや深く、小沸よくつき、処々細かに金筋・砂流しかかり、匂口沈みごころとなり、区を焼き込む。
帽子 : 少しく立ち上がり、表は浅くのたれごころをおび、裏直ぐ調、共に小丸に返り、先僅かに掃きかける。
彫物 : (なし)
茎 : 生ぶ、先細って入山形、鑢目勝手下がり、目釘孔二、指表第一目釘孔より「近」の一字を上げて棟寄りに、太鏨大振りの長銘があり、裏目釘孔の上中央に「雷電」の金象嵌と、その下に三行にわたって冨田弥一左衞門尉重綱の金象嵌截断銘がある。
拵 : 塗鞘打刀拵 総長 : 101.0cm
鐔 :

鉄線花唐草図、竪丸形、鉄槌目地、鋤出彫、金・銀布目象嵌、両櫃孔、

土手耳、無銘(江戸肥後)

高さ:8.3cm 幅:7.8cm 厚さ:0.4cm

柄 : 白鮫着、黒糸柄巻。長さ:24.4cm
縁頭 :

牡丹図、鉄槌目地、金・赤銅布目象嵌色絵、無銘

高さ:4.1cm 幅:2.5cm

目貫 : 枝菊図、赤銅地容彫、金・銀色絵

説明:

 初代:近江守藤原継平は、銘鑑に拠れば、「三代康継門。藤田与兵衛。寛文頃。武蔵」としており、初代継平を三代康継の門としている。但し、この三代康継とは越前康継ぐの意か、或は江戸三代の意なのか明かではない。この点について、『鍛冶銘早見出』には、「近江守藤原継平、越前三代目康継の門。武江住。寛文。同二代同銘に打。元禄。武江。(以下省略)」とし、越前三代であることを明示しており、今日ではこの説が多くとられている。しかしながら、初代継平を二代康継の門とする説などもあり、今後のさらなる研究を促している。また継平の作刀に見る年紀も極く稀であり、現在のところ、初代では「延宝九年」紀を唯一経眼するのみであり、二代も「正徳元年」紀を一口みるにすぎない。

 この刀は、板目に杢・流れ肌が交じり、総じて肌目が立ちごころとなった鍛えに、地沸が微塵につき、地景が細かによく入り、かな色が少しく黒みがかるなど、「越前がね」の特色を見せている。刃文は広直刃を基調に、小互の目が連れて交じり(表物打辺)、互の目足・小足がさかんに入り、葉を交え、匂やや深く、小沸がよくつき、処々細かに金筋・砂流しがかかり、匂口が沈みごころとなるなどの出来口をあらわしている。彼の得意とする直刃の作例で、寛文・延宝を中心とする江戸物の作柄に相通じる作域を見せている点が注目される。焼刃に破綻がなく、出来が優れている。

 なお同作には、まま冨田弥一左衞門尉重綱の金象嵌截断銘が見られ、経眼する截断銘の年紀に、延宝七年、同八年、及び翌年の天和元年の本刀の三口があり、延宝の末年から天和初年に集中している。或は何らかの理由があったものであろうか。加えて初代継平と重綱との関連性も窺われ、興味深いものがある。

備考:

新刀 上作

業物

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