赤間綱信

保存刀剣 NBTHK Hozon Paper

No.A00203

(附) 黒網代塗鞘脇指拵

白鞘  金着二重ハバキ

     売 約 済

刃長 : 40.4cm  (1尺3寸3分半) 反り : 1.2cm  (4分)

元幅 : 2.75cm 先幅 : 2.1cm 元重 : 0.5cm 先重 : 0.3cm

登録証

神奈川県教育委員会

昭和57年05月20日

: 出羽国 (秋田県・山形県)

時代 : 江戸時代後期 文政5年 1822年

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

保存刀剣鑑定書

平成22年08月12日

赤間源綱信

文政五年二月日

形状

刃文

 

帽子

鎬造、庵棟、身幅・重ね尋常に、先反りつき、中鋒となる。

小板目肌つみ、処々柾がかり、肌立ちごころに、地沸つき、地景入る。

元を直ぐに焼出し、その上は大互の目乱れ、のたれ・互の目など交じり、足入り、匂深く、小沸よくつき、玉焼を交え、濤欄刃風となり、細かに砂流しかかる。

直ぐに小丸に返る。

生ぶ、先刃上がり栗尻、鑢目大筋違化粧つく、目釘孔一。

 

小柄

縁頭

 

目貫

黒網代塗鞘脇指拵 総長 : 59.4cm

瑞雲に昇龍図、木瓜形、四分一波地、高彫、金・赤銅・素銅象嵌色絵、片櫃孔、無銘

高さ:6.3cm 幅:5.7cm 厚さ:0.4cm

白鮫着、茶糸巻。長さ:14.4cm

龍図、赤銅波地、高彫、色絵、政直 高さ:9.6cm 幅:1.4cm

雨龍図、赤銅石目地、高彫、色絵、一蚕堂乗意(と銘がある)

高さ:3.7cm 幅:2.1cm

雨龍図、金地容彫

説明

 赤間綱信は、本名を喜三郎といい、加藤綱英に学び、出羽国米沢、また、江戸においても作刀する。作風は、綱英、綱俊の如き丁子刃と濤欄刃の両様があり上手である。また、柴田光男先生の著書:小刀図鑑のなかでは「小刀の名人」と賞され、小刀がお好きな愛好家には著名な刀工となっている。

 濤欄刃は、江戸中期の寛文・延宝の頃に、津田越前守助広が創始したことにより一世を風靡し、大坂新刀の諸工の多くは濤欄刃を焼いている。その後、江戸後期の安永六年に至り、鎌田魚妙がその著書「新刀弁疑」にて助広の濤欄乱れを絶賛したことから、再び、当時の刀工等の間で流行をみる。新々刀期に、濤欄刃を焼く刀工は、水心子正秀をはじめとし、尾崎源五右衛門助隆、手柄山正繁等、そして加藤国秀、綱英、長運斎綱俊、赤間綱信ら加藤一派がいる。各々の濤欄刃はそれぞれ特徴あるものとなっているが、加藤一派の濤欄刃は乱れの谷が、ちょうど台形を逆さににしたような「たらいの底」と称されるものとなる。本作も、加藤一派にみられる典型的な濤欄乱れを焼き、匂口が深く、小沸がよくつき、刃中働いている。 差し込みにて研磨され、焼きの高い華やかな濤欄刃がより一層の迫力あるものとなっている。

 附帯する黒網代塗鞘脇指拵も刀身が製作された文政年間のものであろうか。鞘が網代で、龍の図柄で統一され、趣向を凝らした拵である。金無垢の龍の目貫と鐔が特によい。

備考

新々刀 中上作。

 

気になるほどはありませんが、強いて言えば指表:腰元の鎬地、指表:横手下の平地にわずかに柾割れがみられます。

柄糸の一部にやや経年による劣化がみられます。

赤間綱信
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