筑前信国吉包

保存刀剣 NBTHK Hozon Paper

No.A00200

白鞘  銀無垢二重ハバキ

     売 約 済

刃長 : 53.2cm  (1尺7寸5分半) 反り : 1.4cm  (4分)

元幅 : 3.1cm 先幅 : 2.1cm 元重 : 0.6cm 先重 : 0.45cm

登録証

福岡県教育委員会

昭和28年11月19日

: 筑前国 (福岡県-北西部)

時代 : 江戸時代中期 天和頃 1681-1683年頃

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

保存刀剣鑑定書

平成22年08月12日

筑前住源信国吉包

形状

刃文

帽子

彫物

鎬造、庵棟、身幅・重ね尋常に、元先の幅差あり、先反りつき、中鋒となる。

板目つみ、総じて柾となり、地沸よくつき、地景入る。

小のたれ調に互の目・小互の目交じり、足入り、匂深く、小沸よくつき、砂流しかかり、刃縁に飛焼風の湯走りを交え、明るい。

直ぐ調に浅くのたれて、品よく小丸に返り、先掃きかける。

生ぶ、先栗尻、鑢目浅い勝手下がり、目釘孔一。

説明

 新刀期に入って、信国一派は黒田家の抱え鍛冶として活躍するが、その始祖ともいうべき工が信国吉貞(吉定)である。彼は黒田長政の招きに応じて豊前から筑前博多に移住し、以後、一派は同地に於て代々家督を継承して大いに繁栄し、数多くの優れた刀工を輩出している。中でもその代表的な鍛冶としては、前期の吉貞を筆頭に、初・二代の吉政・吉次・吉包・重包(正包)等が挙げられる。なお一派は新刀期からは、信国を姓として「信国何某」と名乗るのが通例である。この派の作風は、互の目主調の乱れ刃や、互の目に小のたれを交えたもの、のたれ刃、稀に直刃などがあるが、それと同時に、この派独特の丁子乱れの作域も少なからず見受けられる。

 吉包は吉次(初代吉政の弟)の子で、助左衞門と称し、享保6年、御浜御殿の鍛刀で、薩摩の一平安代・主水正正清と共に、一葉葵紋を茎にきることを許された重包(正包同人)の父として知られている。彼は元禄6年、重包21歳の歳に歿している。

 本作は、身幅尋常に寸が延び、先反りがよくついた元禄新刀の脇指姿に、地鉄は、小板目肌がよくつみ、総体に柾となり、地沸が厚くつく。刃文は、小のたれ調に互の目・小互の目などを交え、小沸が良くつき、匂口が明るく、刃中に砂流しなどがよく働いている。一見すると隣国:肥前刀の上作にみえるもので、信国一派の技倆の高さが窺い知れる優品といえる。研磨・白鞘・ハバキの状態も良好であることも好ましい。

備考

新刀 上作。

 

鎬地に数ヶ所、柾割れがみられます。

筑前信国吉包1
筑前信国吉包2
筑前信国吉包3
筑前信国吉包4

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