武蔵大掾忠広

特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon Paper

No.A00176

白鞘  金着一重ハバキ

     売 約 済

刃長 : 73.0cm  (2尺4寸1分) 反り : 2.0cm  (6分)

元幅 : 3.1cm 先幅 : 2.2cm 元重 : 0.6cm 先重 : 0.5cm

登録証

兵庫県教育委員会

平成01年01月19日

: 肥前国 (佐賀県・長崎県)

時代 : 江戸時代初期 寛永4年 1627年

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

特別保存刀剣鑑定書

平成03年12月09日

肥前国住武蔵大掾藤原忠広

寛永四年八月吉日

形状

 

刃文

 

帽子

鎬造、庵棟、身幅やや広めに、重ねやや厚く、反りつき、中鋒の延びた優美な姿となる。

小板目肌つみ、地沸細かに厚くつき、地景よく入り、強い鍛えの肌合いを呈す。

中直刃、小足・葉入り、小沸よくつき、小さく金筋入り、細かに砂流しかかり、匂い口明るく冴える。

直ぐに小丸に返り、やや深く焼き下げ、先わずかに掃きかける。

磨上げ(約3.0cm)、先切(丸みあり)、鑢目勝手下がり、目釘孔二。

説明

武蔵大掾忠広は、初代忠吉同人で、橋本新左衛門と称した。彼は肥前国鍋島藩の抱え工であり、慶長元年、藩命により京の埋忠明寿の門に入って鍛刀の技を学んだ。同三年帰国し、佐賀城下に住して藩の肥後のもとに大いに栄えた。元和10年、再度上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠吉から忠広と改め、同時に源姓から藤原姓に替えている。寛永9年8月15日、没したといわれる。

 本作は、身幅広く、長寸にて、反りがよくつき、鋒も中切っ先の延びた迫力のある姿となり、約1寸(3.0cm)の磨上げは惜しまれるものの、それをあまり感じさせない。しかし、オリジナルの姿に戻せば2尺5寸を優に超える豪刀であったであろう。地鉄は、小板目肌がよくつみ一点の緩みも無く、だが、二代以降の肥前刀特有の米糠肌状とはならない慶長新刀独特の強い鍛えをみせている。刃文は、中直刃を焼いて、小足・葉が入り、小沸がよくつき、細かに砂流しがかかるなど、初代忠広が最も得意とした古作:来国光を写した直刃出来の作域を示している。殊に焼刃には古色の趣が感ぜられ、匂口が明るく冴えている点と相俟って刃味のよさが注目される。初代晩年作の優品である。

 なお、武蔵大掾忠広銘も寛永4年頃までは、細字に切り、自身銘のものが多いといわれている。また、本作は銘振りよりも二代:近江大掾忠広、初代:河内守正広らの代銘ではないことは明らかである。

備考

新刀 最上作。

最上大業物。

 

上研磨済み

武蔵大掾忠広1
武蔵大掾忠広2
武蔵大掾忠広3
武蔵大掾忠広4

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