特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon Paper |
No.A00161 |
(附) 黒呂色塗瑞雲舞鶴金蒔絵鞘半太刀拵 白鞘 金着二重ハバキ |
売 約 済 |
刃長 : 64.0cm (2尺1寸7分弱) 反り : 2.4cm (8分) 元幅 : 2.8cm 先幅 : 2.0cm 元重 : 1.6cm 先重 : 1.5cm |
登録証 : 千葉県教育委員会 平成16年12月10日 |
国 : 山城国 (京都府-南部) 時代 : 江戸時代中期 宝永6年 1709年 |
鑑定書 : (公)日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣鑑定書 平成17年00月17日 |
銘 : (菊紋) 近江守源久道 宝永六年八月吉日 |
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形状 :
鍛 :
刃文 :
帽子 : 茎 : 鎬造、庵棟、身幅・重ね尋常に、寸やや詰まり、磨上げながら、先反り深くつき、中鋒となる。 小板目肌よくつみ、刃寄り少しく柾がかり、地沸細かに厚くつき、地景入り、美しい肌合いとなる。 のたれに、総体に箱がかった互の目・小互の目・矢筈風の刃など交じり、乱れ、足入り、匂深く、小沸よくつき、砂流しさかんにかかり、湯走り・飛焼など交え、匂口明るい。 直ぐに大丸風に返り、先掃きかける。 約1寸6分(5cm)の磨上げ、先切、鑢目大筋違、目釘孔二。 |
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拵 : 鐔 :
柄 : 縁頭 :
小柄 : 笄 : 目貫 : 総金具 黒呂色塗瑞雲舞鶴金蒔絵鞘半太刀拵 総長 : 95.0cm 秋草図、くりこみ木瓜形、赤銅魚子地、高彫、金象嵌色絵、両櫃孔 後藤覚乗(花押)(と銘がある) 高さ:7.2cm 幅:6.5cm 厚さ:0.5cm 白鮫着、黒糸柄巻。長さ:23.5cm 銀磨地、無銘 高さ:3.8cm 幅:2.3cm 枝菊図、赤銅魚子地、高彫、金色絵、無銘 総長 : 9.8cm 枝菊図、赤銅魚子地、高彫、金色絵、裏:含金、無銘 総長 : 21.4cm 菊水図、銀地容彫 銀磨地、無銘 |
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説明 : 初代:近江守久道は、六郎兵衛と号し、もともと三品一族の出身ではなかったが、伊賀守来金道、丹波守吉道、粟田口近江守忠綱、越中守正俊とともに「京都五鍛冶」に選ばれる栄誉をもった。三品派に有力な一族として近江守久道家を創設した。 二代:近江守久道は和泉守来金道家、三代栄泉の次男で、初代:久道の養子となって近江守久道家を継いだ。通称を金四郎といい、そのまま刀銘にも添えるが、初銘は久次である。正徳元年、初代:久道が歿した、翌正徳2年、近江守を受領する。正徳6年6月9日、55才にて歿する。 二代:久道の作刀期間は、初代の代作代銘を始めたとみられる延宝8年から正徳6年まで37年間に及ぶが、その大部分を初代の代作代銘にあたり、自身の作刀期間はわずかに5年間程である。二代:久道の作刀生活は正に初代と一心同体であって、その生涯の殆どを初代に尽くしたことは、実の親子以上に親密なものであったであろうと思われる。現に、初代が歿した5年後には後を追うように歿している。二代:久道の作刀の実力は初代:久道に優り、その優れた技倆によって初代の名声を高らしめた。 正徳元年には、三代:伊賀守金道の代役で、朝鮮国の信使派遣の答礼として贈答用の薙刀を、実子であり養子に出した五代:和泉守来金道とともに製作する栄誉をもった。二代:久道が近江守久道家だけではなく、三品一族の中でも高い技倆と厚い信任を得ていたことが窺い知れる。その時の薙刀の写しの銘文は以下の通りである。 「(枝菊紋)此ノ長刀従関東朝鮮人江被下置写シニテ造之 近江守源久道 和泉守来金道 子孫永代為聞伝所持之」 この刀は、初代:久道の年紀のある刀では最晩年の作にあたるが、前述の通りに二代:久道の代作代銘の刀である。宝永6年は、二代:近江守久道が49歳にして、刀工としての技倆も最も円熟の粋に達した頃であり、同工の技倆の高さを窺い知ることのできる優品である。なお、磨上げは惜しまれるものの、附属の拵は磨上げと同時期に製作されたものであろうか。 |
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備考 : 新刀 上作。
刀身にやや長めのヒケが見られます。 拵に、栗形周辺など数ヶ所に割れ・塗りの剥落があります。 柄糸は経年による傷みがみられます。 |