保存刀剣 NBTHK Hozon Paper |
No.A00158 |
茶石目地塗鞘打刀拵 素銅一重時代ハバキ |
売 約 済 |
刃長 : 74.0cm (2尺4寸4分) 反り : 1.6cm (4分半) 元幅 : 3.15cm 先幅 : 2.3cm 元重 : 0.75cm 先重 : 0.5cm 刀身重量(裸身) : 882g 刀身重量(鞘を払って) : 1,118g |
登録証 : 千葉県教育委員会 昭和26年03月14日 |
国 : 岩代国 (福島県-西部) 時代 : 江戸時代末期 文久・元治・慶応頃 1861-1868年 |
鑑定書 : (公)日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書 平成21年08月12日 |
銘 : (無銘) 会津兼定(之定) |
|
形状 : 鍛 : 刃文 :
帽子 : 茎 : 鎬造、庵棟、身幅広く、重ね厚く、わずかに反りつき、中鋒延びごころとなる。 板目、総体に柾がかり、やや肌立ちごころに、地沸つき、地景入る。 丁子乱れ、互の目・小互の目・尖り刃など交じり、焼き高く出入りがあり華やかとなり、足入り、匂い勝ちに小沸つき、部分的に沸強く荒沸風となり、肌にからみて砂流し・湯走り・打ちのけなど幾重にもかかり、飛焼きなど交える。 直ぐに大丸風に返り、先よく掃きかける。 磨上げ、先切り、鑢目勝手下がり、目釘孔三。 |
|
拵 : 鐔 :
柄 : 縁頭 :
目貫 : 茶石目地塗鞘打刀拵 総長 : 155.0cm 山水図、変わり形、鉄槌目地、鋤出し高彫、象嵌色絵、両櫃孔、無銘 高さ:8.4cm 幅:8.3cm 厚さ:0.65cm 白鮫着、御納戸色柄巻。長さ:26.0cm 柏木に鷹図、鉄地、高彫、象嵌色絵、無銘 高さ:4.0cm 幅:2.3cm 虎図、容彫、色絵 |
|
説明 : 会津兼定は、室町期の濃州関兼定の三代目にあたる孫を古川孫一郎または孫四郎といい、慶長年間に会津藩主:蒲生氏郷の鍛冶となり、奥州兼定の初代となる。以後、古川兼定家は会津における最も古い刀工の家柄となり、幕末まで刀鍛冶として連錦をかざり、三善長道、松軒元興らと共に会津を代表する刀工である。十一代和泉守兼定はその最後を飾る良工である。 十一代兼定は天保8年12月13目、現在の会津若松市浄光寺町一番地に生まれ、幼名を友哉と称した。14才の時から父:十代兼定について鍛法を学ぶ。初銘を兼元と切り、十代兼定の代作代銘をなす。文久2年、会津藩主:松平容保公が京都守護職に任命されると、翌文久3年、幼名を清右衛門と改め、京都に上がり修業しつつ、和泉守を受領し、慶応元年に会津に帰る。受領後、刀銘は和泉守兼定と切る。新選組隊士の為に作刀したのはこの頃であり、副長:土方歳三の佩刀は慶応三年紀のもので、現在も東京日野市の生家に伝わっている。明治36年、67才にて没する。菩提寺は会津若松市実相寺、戒名は精錬印鉄心利剣居士。 本作は「会津兼定(之定)」の極めのついた刀で、会津兼定の中でも「之定(のさだ)」と切るのは十代、十一代のいずれかであるが、姿は身幅広く、重ねの厚い新々刀姿に反りがごく浅い文久・元治・慶応頃の勤王刀姿となり、作風は地鉄が柾がかり肌目がたち、丁子を主調に華やかに乱れ、刃中に刃肌がからみ、よく働くところなどは慶応頃の十一代兼定の作とみるのが妥当であろう。元来は、2尺6寸ほどの長寸なものと思量され、鉄金具の実用的な時代拵や腰が高く呑み込みの深い時代ハバキなども当時の雰囲気をよくあらわしている。 |
|
備考 : 新々刀 上作。
この商品には白鞘は附帯しません。白鞘をご希望の方は別途ご相談ください。
古研ぎの為、全体にヒケ・薄錆があります。部分的にわずかに小傷・鍛え割れがあります。物打ちにごく僅かな刃こぼれがみられます。 |