備後貝三原正盛

保存刀剣 NBTHK Hozon Paper

No.A00156

白鞘  金着二重ハバキ

     売 約 済

刃長 : 25.6cm  (8寸4分半) 反り : 殆ど無し

元幅 : 2.3cm 元重 : 0.75cm

登録証

東京都教育委員会

昭和56年12月17日

: 備後国 (広島県-東部)

時代 : 室町時代後期 天正10年 1582年

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

保存刀剣鑑定書

昭和61年03月26日

三原貝正盛作

天正十年二月日

形状

 

 

刃文

 

帽子

彫物

平造、庵棟、身幅尋常に、重ね極めて厚く、反りわずかにつき、ふくらやや枯れ、鎧通しの姿となる。

板目、杢交じり、総じてつみ、部分的に肌目が立ち、棟寄り柾となり、地沸細かつき、地景入り、淡く白け映り立つ。

広直刃を主調に、小互の目・角がかった刃など交じり、足入り、匂勝ちに小沸よく、刃縁に砂流し・湯走り・打ちのけかかる。

焼き深く、直ぐ調にに中丸にやや倒れて長めに返り、先掃きかける。

表:腰元に護摩箸、裏:細樋に太い添樋がある。

生ぶ、先栗尻、鑢目勝手下がり、目釘孔一。

説明

備後国三原派は鎌倉時代末期に興り、以後室町時代末期に至るまで反映した。一派のうち鎌倉時代末期より南北朝期にかけてのものを古三原、それ以降の室牧期のものを三原と汎称している。この地方には、東寺や蓮華王院など大和中央の社寺の荘園が多く、三原派の作風に大和気質が窺われるのは、こうした畿内中央との交流によるものと推察され、また一方で、青江風の出来を示したものが見られることから、隣国備中鍛冶の影響も考えられている。その作風は、鍛えに白け映りが立ち、まま板目の肌合いの中に杢が目立って肌立ち、また匂口がしまりごころとなり、帽子は丸く穏やかとなるのが特色といえる。

貝三原は、室町時代後期の三原に住した刀工群で銘文の中に「貝」を切り、これは住地が貝ヶ原であったからという。主な刀工には、正興、正盛、正賀、正近、正重、正広、正宗、正久などがいる。

貝三原正盛は、初・二代おり天文・永禄頃を初代、天正頃を二代といい、本作は、天正年紀のあるところから二代正広の作と思量される。正盛・正興・正宗の三人合作の刀が遺されており、その銘文では正盛の名が一番上に刻されているところから、貝三原鍛冶のなかでも主要な刀工であったのであろう。この短刀は、重ねが0.75mmと厚く、先にいっても厚さがさほど変わらず鎧通しとして製作された品で、地鉄は、板目に杢を交え、白け映りが立ち、刃文は、広直刃調に刃縁がよく働くなど、室町後期における備前・備中・備後など山陽道筋の刀工達の作風をよく示している。約400年の星霜を経た現在でも、刃・棟区がしっかりとし健全にて地鉄は精美となる。

備考

末古刀 中作。

 

気になるほどではありませんが、強いていえば、指裏:上部に弱い地鉄と、表裏の帽子の中に髪の毛ほどの鍛え割れがあります。

備後貝三原正盛1
備後貝三原正盛2
備後貝三原正盛3
備後貝三原正盛4

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