重要無形文化財保持者 (人間国宝) 保存刀剣 NBTHK Hozon Paper |
No.A00144 |
白鞘 金着二重ハバキ (附) 共箱 - 宮入行平筆 |
売約済 |
刃長 : 53.4cm (1尺7寸6分) 反り : 1.6cm (5分) 元幅 : 3.1cm 先幅 : 2.7cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.55cm |
登録証 : 東京都教育委員会 平成21年03月10日 |
国 : 長野県 時代 : 現代 昭和四十九年 1974年 |
鑑定書 : (公)日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書 平成21年07月 |
銘 : 宮入行平作 昭和二二十九年八月吉日 為團野先生 |
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形状 :
鍛 : 刃文 :
帽子 : 彫物 : 茎 : 鎬造、三ツ棟、身幅広く、重ねやや厚く、元先の幅差少なく、反りややつき、大鋒が大きく延びた迫力ある姿となる。 小板目肌錬れてつみ、地沸微塵に厚くつき、地景入り、精美な肌合いとなる。 のたれ調に大互の目・小互の目交じり、足太く入り、匂深く、沸厚くつき、処々荒めの沸となり地にこぼれ、金筋入り、砂流し幾重にもかかり、匂口明るい。 直ぐ調に小丸に品よく返り、先さかんに掃きかける。 表裏に二筋樋を丸留する。 生ぶ、先栗尻、鑢目筋違、目釘孔一。 |
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説明 : 宮入行平刀匠は、本名を宮入堅一といい、大正2年3月17日、長野県埴科郡坂城町に父豊吉の長男として代々の鍛冶屋の家に生まれる。14歳の頃より、家業の農具や刃物作りに従事し、作刀への憧れを強くする。昭和7年、群馬県沼田の鉈作りの名人:星野銀光へ一年間弟子入りする。昭和12年、東京市赤坂区氷川町の日本刀鍛錬伝習所(栗原彦三郎昭秀所長)に入門、作刀の修行を始める。その間、新作日本刀展覧会、陸軍軍刀展で多くの賞を受賞する。昭和20年、軍刀制作に従事するも空襲の激しい東京では仕事にならず坂城に帰り作刀する。昭和27年、師栗原彦三郎の呼びかけに応じ、講和記念刀を制作する。昭和28年、美術刀剣の製作が許され作刀が可能になり、文化財保護委員会より製作承認を受ける。昭和30年、(公)日本美術刀剣保存協会の作刀技術発表会で特賞を受賞し、以後、34年まで連続して受賞する。35年、無鑑査となる。昭和38年、50歳の時に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。昭和48年、ミヨ子夫人の病気回復祈願と作刀の心機一転を期して、「昭平」の刀匠銘を「行平」と改める。昭和52年、64歳で逝去。指導者としても、宮入清宗氏、高橋次平氏、大久保和平氏、渡邊繁平氏、河内国平氏、藤安将平氏、上林恒平氏などの多くの優秀な刀匠を育成し、宮入一門の名を高いものとしている。 本作は、身幅・重ねがあり、大峰の豪壮な迫力ある姿となる。刃文は焼きの高い乱れ刃に沸が強くつき、部分的には地にこぼれるほどであり、刃中も金筋入り、砂流しが幾重にもかかり、匂口が明るいなど抜群の出来映えである。 宮入刀匠が晩年に「昭平」銘から「行平」銘へ改名した直後の61歳の作品にあたり、「行平」銘は僅かに五年間しかみられず、数が少なく貴重といえる。宮入刀匠としては珍しく脇指であるが、それを感じさせない姿・刃文ともに迫力に満ちた優品である。 為銘の「團野氏」については不明であるが、作品の出来映えや自筆の共箱が附帯することから勘案すれば余程の入念作であると推察される。脇指ながら宮入刀匠の代表作といっても過言ではない。 |
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備考 : 昭和38年 重要無形文化財保持者に認定。(人間国宝) 宮入行平刀匠自筆の共箱が附帯している。 「脇差 一口」 「昭和二二十九年菊月吉日 宮入行平(落款)」 |