保存刀剣 NBTHK Hozon Paper |
No.A00124 |
(附) 黒呂色塗鞘打刀拵 白鞘 銀無垢一重ハバキ |
売約済 |
刃長 : 66.8cm (2尺2寸) 反り : 1.6cm (5分) 元幅 : 3.05cm 先幅 : 2.1cm 元重 : 0.75cm 先重 : 0.5cm |
登録証 : 東京都教育委員会 昭和57年01月28日 |
国 : 北海道 時代 : 現代 昭和15年 1940年 皇紀2600年 |
鑑定書 : (公)日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書 平成20年01月28日 |
銘 : 俊秀作(堀井俊秀) 皇紀二千六百年正月吉日 |
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形状 : 鍛 : 刃文 :
帽子 : 茎 : 鎬造、庵棟、身幅尋常にて、重ね厚く、元先の幅差ややあり、先反りつき、中鋒となる。 小板目肌よくつみ、、地沸つき、地景入り、美しい肌合いとなる。 互の目に丁子、少しく尖り刃交じり、処々逆がかり、左右に足入り、匂出来となり、砂流し細かにかかる。 乱れ込み小丸に返る。 生ぶ、先栗尻、鑢目大筋違化粧つく、目釘孔一。 |
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拵 : 鐔 :
柄 : 縁頭 :
目貫 : 黒呂色塗鞘打刀拵 総長 : 97.8cm 菱に雁透図、丸形、鉄地、透彫、耳小丸、両櫃孔、無銘(京透) 高さ:8.0cm 幅:8.0cm 厚さ:0.5cm 白鮫着、白糸菱巻。長さ:24.6cm 葡萄図、赤銅石目地、高彫、金銀象嵌色絵、無銘 高さ:4.1cm 幅:2.4cm 瓢箪鯰図、赤銅容彫、金色絵 |
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説明 : 堀井俊秀は、明治19年、滋賀県滋賀郡下坂本村で徳田広吉の三男として生まれ、本名を徳田兼吉という。明治34年、二代:堀井胤明門人である松田胤勝より農鍛冶を修行。明治37年、19才の時に二代:堀井胤明に入門し、鍛刀を学び、明治44年、その勤勉さを見込まれ、女婿となり、「兼明」と初銘を銘す。大正2年、刀剣保存会(羽沢文庫)より水心子正秀の「秀」の一字を贈られ「秀明」と改め、また、昭和9年、皇太子御生誕となり、「明仁親王」と命名されると「明」の字を用いることは憚り多いことと考え「俊秀」と改める。大正7年、北海道室蘭の日本製鋼所室蘭製作所・瑞泉鍛刀所に入社し、鍛刀研究に従事する。大正12年、二代:堀井胤明亡き後は、堀井家三代目として瑞泉鍛刀所を継ぎ、優れた技術と卓越した人格者であったことから一門に繁栄をもたらす。昭和17年、宮内省より元帥刀十振の製作を命ぜられ、死を賭して謹作するも完成半ばにして、翌昭和18年、58才で永眠する。法名を龍渕軒瑞泉俊禿日兼居士、墓は大津市石山寺辺町西蓮寺にある。 日本刀展覧会へ自作の刀剣を出品し、総理、陸軍、文部省の各大臣賞を受けるなど、多くの栄誉を得る。昭和2年頃より日本海海戦の旗艦:三笠の砲身を材料として製作した記念刀などもある。また、俊秀の作品は、刃味が優れていることは当時から有名となっている。 本作は、見事な地鉄に俊秀の得意とした丁子刃を焼いており、当時の刀工中第一等の堀井俊秀の技量の高さが窺い知れる優品である。製作された皇紀2600年は昭和15年にあたり、この頃には紀元2600年を祝い橿原神宮・宮崎神宮・湊川神社などに寄進する多数の奉納刀を製作している。 附帯する黒呂色塗鞘打刀拵は戦後になってから、数奇者の希望により製作されたもので、金具も上質なものをつかい、入念な仕上がりとなっている。 |
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備考 : 全体に薄錆があり、部分的にヒケがみられます。 元来、オリジナルの拵なのですが、拵の柄が少し締まって入るため、刀身の茎部分が完全には入りません。
聖代刀匠位列、最高位・神品の列・最上大業物 取締役格筆頭 昭和16年新作日本刀展覧会 特別名誉席 総理大臣賞・文部大臣賞受賞 国工称号授与刀工 |
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<堀井家の系譜> 初代:堀井胤吉(月山貞一・大慶直胤門人) 二代:堀井胤明 三代:(瑞泉初代) 堀井俊秀(兼吉・秀明同人) 四代:堀井信秀(俊秀長男) 分家:堀井胤次(俊秀次男) 現当主:堀井胤匡 |