河内守国助

特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon Paper

No. A00115

白鞘 田野辺探山先生鞘書

     売 約 済

刃長 : 64.2cm  (2尺1寸2分) 反り : 0.0cm  (0分)

元幅 : 2.8cm 元重 : 1.3cm 先重 : 0.7cm

登録証

岐阜県教育委員会

昭和32年10月22日

: 摂津国 (大阪府-北西部、兵庫県-南東部)

時代 : 江戸時代初期 寛永頃 1624-1643年頃

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

特別保存刀剣鑑定書

平成16年08月13日

河内守国助(初代)

形状

 

刃文

 

帽子

彫物

平三角造、塩首(けらくび)短い。

板目、杢交じり、処々柾がかり、地沸細かにつき、地景入る、ザングリとした肌合いを呈す。

中直刃、浅くのたれ、小足入り、小沸つき、砂流しかかり、刃縁に二重刃・喰違刃・打ちのけ等交える。

品良く小丸にて、鎬にやや深く返る。

平地中央に太樋を丸留する。

生ぶ、先切、鑢目大筋違化粧つく、目釘孔一。

説明

初代河内守国助(親国助)は、初代和泉守国貞(親国貞)と同様に堀川門下の末弟子であるが、その初期の作風・銘振りなどから鑑て、事実上の師は、門下の先輩格である越後守国儔であったと推測される。国広歿後、親国貞と共に大坂に移住し、大坂鍛冶の先駆者となり、その後の大坂鍛冶に大きな影響を及ぼしている。河内守受領については明確ではないが、同作に「河内守藤原国助」銘で「寛永3年2月日」紀の薙刀及び短刀などが現存し、さらに年紀はないが、それよりも時代の遡ると思われる河内守銘の遺例があることから、おそらく元和9年、初代国貞の和泉守受領と相前後するものと推測される。彼の子息は何れも優秀で長男:武蔵守国次、次男:二代河内守国助(中河内)、三男:肥後守国康、四男:伊勢守国輝がいる。

本作は、身幅広く2尺1寸2分(64.2cm)と非常に長寸にて、茎長く刀身・茎共にほぼ完璧な保存状態で今に伝えている。江戸初期に製作された大身槍の中で、この槍ほど健全な状態で遺されたものは少なく、且つ、地刃共に出来の優れた名槍といえる。田野辺探山先生が鞘書にも記されている通り、初代河内守国助の槍の作品は稀少であり、しかし、さすがに堀川一門の名工:初代河内守国助の作だけあり、造り込みが如何にも上手である。普段よりも柾気が顕著に表れているのは、槍における造り込みによるものと思量される。

備考

新刀 上作。

業物。

 

田野辺探山先生鞘書

「小林河内守国助 五字銘有 初代国助也 大身槍ハ同作中稀而本作出来宜矣 平成辛巳暦五月佳日田氏探山ル誌(花押)」

 

樋中の下半に柾割れ、三角形側の右手の下半に小傷があります。

河内守国助(初代)1
河内守国助(初代)2
河内守国助(初代)3

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