近江大掾忠広

特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon Paper

No. A00102

(附) 黒刻鞘打刀拵

白鞘  上貝銀着・下貝金着一重ハバキ

  売約済

刃長 : 69.8cm  (2尺3寸強) 反り : 1.6cm  (5分)

元幅 : 2.9cm 先幅 : 1.9cm 元重 : 0.6cm 先重 : 0.45cm

登録証

佐賀県教育委員会

昭和33年05月16日

: 肥前国 (佐賀県・長崎県)

時代 : 江戸時代初期 寛永16年 1639年

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

特別保存刀剣鑑定書

平成15年12月25日

肥前国住藤原忠広(二代)

寛永十六年八月吉日

形状

 

刃文

 

帽子

鎬造、庵棟、反り浅く、中鋒延ごころ。

小板目肌よくつみ、地沸微塵に厚くつき、米糠肌状となり、地景細かによく入り、かね冴える。

浅いのたれに、互の目交じり、のたれ刃と互の目乱れを交互に焼き、足入り、小沸よくつき、金筋入り、総体に砂流しかかり、匂口明るく冴える。

直ぐに品良く小丸。先掃きかける

生ぶ、先入山形、鑢目切、目釘孔一。

 

縁頭

目貫

小尻

栗型

黒刻鞘打刀拵 黒呂色塗と黒石目地塗を交互に塗る 総長 : 97.5cm

菊・藤図、木瓜形、赤胴魚子地、高彫、色絵、両櫃孔、無銘

竪長さ : 7.7cm 横長さ : 7.1cm 耳の厚さ : 0.6cm

白鮫着、黒糸菱巻 長さ:23.3cm

唐人物図、赤銅石目地、高彫、色絵、高さ:3.7cm 幅:2.4cm

万年青図、赤銅地容彫、金色絵

波図、銀地

波図、銀地

説明

近江大掾忠広は、初代:忠吉の嫡子で、寛永九年父が歿した時は十九歳の青年であったが、同九年から作刀が見られる。これは元来刀匠としての天分と技量を持ち合わせていた事はもちろんであるが、初代:忠広当時の弟子達の協力によって彼を助けたことも大きな力となっている。寛永十八年七月に近江大掾を受領し、元禄六年八十一歳で歿している。この間、作刀歴は六十有余年におよび、肥前刀工中で最も多くの作品を残している。作風は大別して、直刃と丁子乱れの両様があり、いずれも上手である。

初代:忠吉をはじめとする肥前刀工には多くの写し物と思われる作品が現存し、来写し・長義写し・大和物写し(当麻・手掻など)・直江志津写し・青江写し・左文字写し・広光、秋広写し・村正写し・景光写しなど多岐にわたっている。

年号はないが寛永六年のものと推定される、藩主:鍋島勝重から初代:忠吉にあてた刀剣注文書には、「一腰は弐尺三寸五分ほそすく刃にして志津などに似し様に所々みたれ」という一文がある。ここにいう志津などにみえるようにというのは、直刃や浅いのたれに互の目を5〜6個ほど交ぜて、交互に焼いた刃文のことであり、本歌である志津三郎兼氏の作風とは相違するものの相州伝を強調した作で志津あたりを狙ったものといわれている。「志津写し」は初代:忠吉の寛永六年八月紀の作から多くみられ、他では、二代:忠広、初代:正広などやこの時代から寛文・延宝頃にわたる肥前の他工にも広まっている。

本作も、小のたれと5〜6個ほどの互の目乱れを交互に焼いており、いわゆる「志津写し」である。さすがに入念作であり、地鉄は肥前刀特有の精美な肌合いに地景が細かに入った米糠肌状となり、刃文は沸が一段とよくつき金筋・砂流しなどよく働いている。二代:忠広が二十六歳の青年期の作ゆえか、常にも増して地刃に力強さと迫力が感じられる。また「寛永十八年八月吉日」の年紀は、同工を研究する上で資料的に貴重である。

備考

新刀 上々作。

大業物。

近江大掾忠広
近江大掾忠広
近江大掾忠広
近江大掾忠広
近江大掾忠広
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