細川忠義

特別保存刀剣 NBTHK Hozon Paper for Sword

特別保存刀装 NBTHK Hozon Paper for Sheath

No. A00092

(附) 黒石目地雲文塗鞘打刀拵

白鞘  銀着一重ハバキ

     売 約 済

刃長 : 75.6cm  (2尺4寸9分強) 反り : 1.8cm  (6分)

元幅 : 3.0cm 先幅 : 2.1cm 元重 : 0.8cm 先重 : 0.5cm

登録証

静岡県教育委員会

昭和31年05月02日

: 下総国 (千葉県-北部・茨城県-西部)

時代 : 江戸時代後期 文久3年 1863年

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

特別保存刀剣鑑定書

平成18年01月19日

特別保存刀装鑑定書

平成17年12月21日

総ыイ倉士細川忠義造

文久三年二月日

形状

 

刃文

帽子

鎬造、庵棟、身幅広めに、重ね厚く、反り浅く、中鋒、手持ちがズシリと重く、健全な様相を呈す。

小板目肌よくつみ、精美にして、地沸微塵に厚くつき、地景入る。

中直刃、浅くのたれごころを帯び、匂深く、小沸よくつき、砂流し細かにかかり、明るい。

直ぐに、丸に返り、先掃きかける。

生ぶ、先栗尻、鑢目大筋違い化粧つく、目釘孔一。

 

柄前

目貫

揃金具:

黒石目地雲文塗鞘打刀拵 総長 : 107.0cm

波濤に龍図、菊花木瓜形、鉄地、鋤出彫、金象嵌、角耳小肉、両櫃孔(赤銅埋)、銘:東雲斉光義。高さ:8.1cm 幅:7.7cm 厚さ:0.6cm

白鮫着、黒糸菱巻。長さ:26.5cm

雲龍図、鉄槌目地、鋤出高彫、金布目象嵌、高さ:4.1cm 幅:2.3cm

道成寺図、山銅地、容彫、金鍍金

雲龍図、鉄槌目地、鋤出高彫、金布目象嵌

説明

細川忠義は文化12年、水心子正秀の高弟なかでも大慶直胤と双璧とされる二代:細川主税介正義の次男として生まる。幼い頃から宇都宮藩鹿沼宿の叔父:民之介正平のもとで養育され、20才の頃まで内弟子として修業し、正行と名乗っていた。天保6年、21才の時、江戸に出て父:正義についてさらに鍛刀修業を積んだ。天保8年、長男:忠正が誕生し、天保11年、26才の時、美作国津山藩:松平家のお抱え鍛冶となり、父:正義と共に津山藩江戸下屋敷に移住し、鍛冶細工所詰めとなっている。嘉永元年、三男:義則が誕生し、嘉永2年には津山藩刀工を辞し(異母弟の仙之助:正守が継ぐ)、下総国佐倉藩:堀田家へ五俵一人扶持御勝手組でお抱え鍛冶となり、一家で佐倉の鍛冶瑳玖に移住している。嘉永3年、六俵一人扶持加増の上、刀剣鍛冶方御細工人となり、さらに嘉永7年、刀剣鍛冶作方上達につき二俵加増の上、会所持書になっている。文久4年、正月にも二俵加増され、都合、禄高十五俵二人扶持であった。本業は、刀剣鍛冶であるが身分的には小役人であった。弟子に長男:忠正、三男:義則がいる。明治3年7月6日、56才で没す。法号を剣寿院宝刀索翁居士といい、墓所は佐倉市内鏑木町の大和田山大聖院にある。

作風は、父:正義をはじめ細川一門と同じく備前伝を得意とし、他に相州伝、そして本作の様な直刃がある。父:正義にも稀に直刃があり、忠義の作刀には比較的に直刃が多く見受けられ、細川一門のなかでも直刃が上手である。

本作は、地鉄が小板目を叩き詰めた様につんでおり、地沸が細かに微塵に厚く敷き、極めて精良となっている。刃文は匂深く明るく、小沸がよくついており、刃中よく働いて見事である。

手持ちがズシリと重く、また、刃区にはまだ生ぶ刃が残っており、おそらく製作から数度しか研磨しておらず、ほぼ製作当時と変わらぬ高い健全度を示している。

製作当時のものと思われる時代拵が附帯していることも好ましい。

備考

新々刀 中上作。

刀剣と刀装のそれぞれに特別保存鑑定書がついています。。

気になるほどではありませんが、表:ハバキ元に小キズ、裏:腰元の鎬地に僅かに柾割れがみられます。

柄糸に補修がみられます。

細川忠義1
細川忠義2
細川忠義3
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細川忠義9

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