保存刀剣 NBTHK Hozon Paper |
No. A00069 |
黒呂色塗丸に抱茗荷紋金蒔絵鞘短刀拵 金無垢一重ハバキ |
売約済 |
刃長 : 15.4cm (5寸1分) 反り : なし 元幅 : 1.8cm 元重 : 0.5cm |
登録証 : 東京都教育委員会 平成18年06月20日 |
国 : 東京都 時代 :大正時代 大正6年 1917年 |
鑑定書 : (公)日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書 平成18年08月31日 |
銘 : 天覧 菅原包則八十八 大正六年八月日 |
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形状 : 鍛 : 刃文 :
帽子 : 茎 : 平造、庵棟、身幅・重ね尋常、反りなく、小振りな品の良い短刀姿。 小板目肌よくつみ、精美な肌合いとなり、地沸よくつき、地景入り、淡く乱映り風たつ。 小互の目を連れて焼き、少しく尖りごころの刃交じり、総体に逆ごころを帯び、小足入り、小沸細かによくつき、砂流しかかる。 浅くわずかに乱れ込み大丸ごころに一文字風に焼詰め、先わずかに掃きかける。 生ぶ、先刃上がり栗尻、鑢目勝手下がり、目釘孔一。 |
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拵 : 目釘 : 黒呂色塗丸に抱茗荷紋金蒔絵鞘短刀拵 総長 : 27.2cm 銀製 毛彫り 牡丹紋 ネジ式 |
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説明 : 宮本能登守包則は、天保元年8月25日、伯耆国武田村大柿(現:鳥取県-倉吉市大柿)の造り酒屋を営む旧家に生まれ、宮本志賀彦という。嘉永4年、22才で刀工を志して、備前長船横山祐包の門人となり、備前伝の鍛刀を学ぶ。安政4年、因幡藩倉吉の家老:荒尾志摩の抱工となり、さらに文久3年、京都有栖川熾仁親王の信任を得て、孝明天皇の御剣を鍛造し、慶応2年37才の時、能登守を受領した。明治19年、同郷の因幡の刀工である日置仁平兼次と共に、伊勢神宮の宝剣・鉾・鏃など多数を精鍛してその大業を果たし、さらに明治39年4月に月山貞一と共に帝室技芸員の栄職につき、専ら皇室の刀剣類を謹鍛した。「菅原包則」「宮本能登守包則」「能登守菅原包則」「帝室御刀工」「帝室技芸員菅原包則」などの作銘があり、因幡鳥取、伯耆倉吉、京都(銘は皇都と切る)、東京など、各地の地名を添えたものがあり、大正7年89才の生年切銘もあって、大正15年10月24日97才の高齢で没した。墓は当店の近く染井霊園(東京都豊島区駒込)にある。
銘文にある「天覧」は、「天皇陛下が御覧になられた」という意味だが、本作においては宮本包則が明治天皇の御前で鍛刀したことを喜び、それ以降の多くの作品に「天覧」の文字を切銘している。
この短刀は、「嫁入り短刀」として製作されたものと思量される。「嫁入り短刀」とは、江戸時代以降に武家において広まった風習で、婚礼の儀式で花嫁が懐に秘すものである。明治以降になると、胸元に錦の袋に入れて見えるように指すが、かつては嫁入りの際に懐剣を持参したにしても判からないように秘したものである。その為、本来の懐剣・隠剣という特性上、5寸前後と短いものとなり、また、帽子は返らずに焼詰めとするのは「嫁ぎ先から実家に戻らない」という決意の表れである。本作も刃長5寸1分、帽子も焼詰めとなり正式な「嫁入り短刀」の形態をなしている。 拵えの、「丸に抱茗荷紋」が嫁ぎ先、「牡丹紋」が実家の定紋と推察される。
※ 刀の作風については 【 刀:帝室技芸員 菅原包則 八十八作 大正六年七月十日 】 を参考ください。 |
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備考 : 帝室技芸員 新々刀 上作
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