近江守久道

保存刀剣 NBTHK Hozon Paper

No.A00060

(附) 黒石目地塗鞘脇指肥後拵

白鞘  金着一重時代ハバキ

     売 約 済

刃長 : 53.6cm  (1尺7寸7分) 反り : 1.4cm  (4分)

元幅 : 3.35cm 先幅 : 2.8cm 元重 : 0.95cm 先重 : 0.7cm

登録証

東京都教育委員会

平成18年07月11日

: 山城国 (京都府-南部)

時代 : 江戸時代中期 正徳頃 1711-1715年頃

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

保存刀剣鑑定書

平成18年08月31日

(枝菊紋) 近江守源久道

形状

 

刃文

 

 

帽子

鎬造、庵棟、身幅広く、元先の幅差少なく、重ね目立って厚く、中程やや下より鎬地を削ぎ、反り浅く、大鋒となる薙刀直しを写した豪壮な姿を呈す。

板目、総体に柾となり、地沸つき、地景入る。

元に直ぐの焼出しごころがあり、その上は互の目乱れ、小のたれ・大互の目・角互の目など交じり、総じて角がかり、足入り、匂深く、小沸よくつき、砂流し・湯走りなど長くかかる。

浅くのたれ込み、小丸に返り、先掃きかける。

生ぶ、先入山形、鑢目大筋違、目釘孔二中一埋。

 

 

目貫

小柄

黒石目地塗鞘肥後脇指拵 総長 : 75.5cm

天竜図、椀形、鉄地、銀布目象嵌、両櫃孔、無銘

高さ:6.9cm 幅:6.2cm 厚さ:0.7cm

白鮫着、黒革菱巻。長さ:16.4cm

網に桜花図、銀地、金・銀布目象嵌、無銘(肥後)

高さ:4.0cm 幅:2.4cm

高野聖図、赤銅地容彫、金・銀象嵌色絵、無銘

若竹図、素銅魚子地、赤銅象嵌色絵、無銘

説明

 初代:近江守久道は、六郎兵衛と号し、もともと三品一族の出身ではなかったが、伊賀守来金道、丹波守吉道、粟田口近江守忠綱、越中守正俊とともに「京都五鍛冶」に選ばれる栄誉をもった。三品派に有力な一族として近江守久道家を創設した。

 二代:近江守久道は和泉守来金道家、三代栄泉の次男で、初代:久道の養子となって近江守久道家を継いだ。通称を金四郎といい、そのまま刀銘にも添えるが、初銘は久次である。正徳元年、初代:久道が歿した、翌正徳2年、近江守を受領する。正徳6年6月9日、55才にて歿する。

二代:久道の作刀期間は、初代の代作代銘を始めたとみられる延宝8年から正徳6年まで37年間に及ぶが、その大部分を初代の代作代銘にあたり、自身の作刀期間はわずかに5年間程である。二代:久道の作刀生活は正に初代と一心同体であって、その生涯の殆どを初代に尽くしたことは、実の親子以上に親密なものであったであろうと思われる。現に、初代が歿した5年後には後を追うように歿している。二代:久道の作刀の実力は初代:久道に優り、その優れた技倆によって初代の名声を高らしめた。

 正徳元年には、三代:伊賀守金道の代役で、朝鮮国の信使派遣の答礼として贈答用の薙刀を、実子であり養子に出した五代:和泉守来金道とともに製作する栄誉をもった。二代:久道が近江守久道家だけではなく、三品一族の中でも高い技倆と厚い信任を得ていたことが窺い知れる。その時の薙刀の写しの銘文は以下の通りである。

「(枝菊紋)此ノ長刀従関東朝鮮人江被下置写シニテ造之 近江守源久道 和泉守来金道

子孫永代為聞伝所持之」

 この脇指は、1尺7寸7分と長寸であり、重ね目立って厚く、中程やや下より鎬地を削ぎ、大鋒に結ぶ薙刀直しを写した豪壮な姿となっており、地鉄は、板目が総じて柾となり、三品派のなかでは比較的に綺麗な肌合いとなり、刃文は、互の目乱れが総体に角がかり、小のたれ・大互の目など様々な刃が交じり、華やかに乱れ、姿の豪壮さと相俟って迫力がある大脇指となっている。

 江戸時代後期の製作と思われる時代色を感じさせる肥後拵が附帯しているのも好ましい。

備考

新刀 上作。

上研磨済。

 

第二目釘孔が「守」にかかっており、鉄で埋めた後に、善意の追い鏨があります。

保存刀剣鑑定書では、「守」の字を□(四角)でくくります。

柄糸に傷みがみられます。

近江守久道1
近江守久道2
近江守久道3
近江守久道4
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近江守久道7
近江守久道8
近江守久道9

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