常陸国直吉

特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon Paper

No. A00041

白鞘  金着二重ハバキ

      売 約 済

刃長 : 74.6cm  (2尺4寸6分) 反り : 1.1cm  (7分)

元幅 : 3.2cm 先幅 : 2.0cm 元重 : 0.6cm 先重 : 0.5cm

登録証

東京都教育委員会

平成13年09月11日

: 常陸国 (茨城県-中部・東部)

時代 : 江戸時代後期 安政4年 1857年

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

特別保存刀剣鑑定書

平成14年02月14日

於常陸国谷衛門源直吉造

安政二二年巳正月吉日(刻印:スケカハ)

形状

 

 

刃文

 

 

帽子

鎬造、庵棟、身幅広めに、重ね尋常、元先の幅差ややつき、反り高く、中鋒の延びた、天保・弘化・嘉永頃にみられる復古刀の姿を呈す。

小板目肌よくつみ、精美にして、地沸微塵に厚くつき、地景入り、焼け映り風の乱映り淡く立つ。

片落ち互の目を主張に、互の目・小互の目・丁子風の刃など交じり、足よく入り、総体に逆がかり、焼き高く華やかとなり、匂主張に小沸よくつき、金筋入り、砂流しかかり、刃縁に飛焼風の湯走りなど交じり、匂口明るく冴える。

直ぐ調に、小丸短く返り、先さかんに掃きかける。

生ぶ(雉子股形)、先栗尻、鑢目大筋違化粧つく、目釘孔一。

説明

直吉は、銘鑑では源直吉と銘し、大慶直胤門、山野辺家家臣という。

山野辺家は水戸徳川家の家老職を代々継承した家柄で、天保7年に山野辺義観は水戸藩主:徳川斉昭(列公)に海防総司に任命され、助川(現在:日立市)に築城を命じられ、助川城をその居城とする。

一方、その少し前の天保5年には直江助政、翌天保6年には市毛徳鄰と水戸藩工の重鎮が相次いで死去しており、天保10年に大慶直胤が山野辺義観の召しに応じ水戸藩工に鍛刀術の指導の為に助川城を訪れている。直胤は天保10年、嘉永4年、安政2年と計3度にわたり助川城を来訪しており、直吉はその時に直胤に師事を受けたものと思われる。他に、直胤に師事を受けた者に大江勝永、善定近則、直江助俊などがいる。

 

この刀は、身幅が広く、反りがつき、鋒の延びた豪壮な復古刀の姿に、師:直胤の最も得意とした備前伝にて、長船兼光の片落ち互の目を見事に写した直吉の傑作である。これほど焼刃に高低があり、乱れているにも拘わらず破綻が見受けられず、同工の技倆の高さが窺える。また、大慶直胤、次郎太郎直勝などと比べてもそれほど遜色を感じられず、直吉作中の最高作の一振りである。

備考

最上研磨済。

常陸国直吉
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