眠龍子寿実

特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon Paper

No. A00024

白鞘  金着一重時代ハバキ

佐藤寒山先生鞘書

上州刀工図譜所載 第24回全国大会出品刀

  売約済

刃長 : 67.9cm  (2尺2寸4分) 反り : 1.4cm  (5分)

元幅 : 3.0cm 先幅 : 2.1cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.5cm

登録証

群馬県教育委員会

昭和39年05月22日

: 因幡国 (鳥取県-東部)

時代 : 江戸時代後期 文政頃 1818-1829年頃

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

特別保存刀剣鑑定書

平成19年05月08日

眠龍子寿実

文政十二年八月日

形状

 

刃文

 

 

帽子

鎬造、庵棟、身幅尋常、重ねやや厚く、浅く先反りつき、中鋒となる。

小板目肌よくつみ、精美にして、地沸微塵に厚くつき、地景入り、処々鍛接目あらわれ、淡く映り立つ。

直ぐにやや長めに焼出し、その上は拳型丁子を主調に小丁子、小互の目、小さな玉焼きなど交じり、足よく入り、総じてやや小模様となり、匂主調にわずかに小沸つき、締まりごころとなる。

直ぐに小丸に品良く返る。

生ぶ、先入山、鑢目大筋違化粧付く、目釘孔一。

説明

二代:浜部眠龍子寿実は、初代:浜部美濃守寿格(としのり)の嫡子として、安永6年に鳥取に生まれる。俗名を水心子正秀と同じく儀八郎と称す。父:寿格は水心子正秀と交友があり、親交の深さのあらわれであろうか。眠龍子と号す。寛政7年、寿実19才の初期作がみられ「寿国」と銘す。寛政9年より、「寿実」銘がみられ、享保元年より「眠龍子寿実」と切る。享保元年頃より、父:寿格の作刀が少なくなり、代わって寿実の作刀が多くなり、実質的な代替わりがあったものと思われる。

文化7年、父:寿格の没後も父にも増して門人多く、山浦真雄・清麿兄弟の師としても著名な信州上田藩士:河村寿隆をはじめ、予州松山藩士:三好播竜子長弘や竹中邦彦などがいる。門下数十人に達し一門は繁栄した。作刀期は、30年を超え、因幡打ちの他に江戸打ちもある。一方、寛政8年には、幕命により、父:寿格に従い、三度江戸に上り、官庫の蔵刀・刀書などの調査にあたっており、寿格・寿実父子にとって一生の盛時といえよう。弘化3年、70才にて没し、墓は鳥取市一行寺にある。以後、三代:見龍子寿幸、四代:眠龍子寿秀、五代:眠龍子寿光と幕末まで続く。

作風は、地鉄は精美にして、無地風となり、刃文は二代:河内守国助(中河内)の拳型丁子に私淑している。実際には、中河内よりも丁子の房がやや小さくなり小模様となる。焼きが深く円型が菊花を形成し、丹波守吉道の菊水刃を丁子化した「菊花丁子」がみられる。他に富士見西行などがある。

本刀の評価について、佐藤寒山先生は鞘書において、「地刃健全、出来また見事にして同作中の白眉である」と絶賛されている。また、鞘書によれば、昭和50年、群馬県水上で開催された第24回全国大会に出品され、大変な評価を受けたとある。眠龍子寿実はもとより、浜部一派を代表する傑作である。

備考

新々刀 上作。

 

佐藤寒山先生鞘書

「浜部眠龍子寿実 文化十二年八月日紀有之 丁子乱得意之作而地刃健全出来亦見事に蓋同作中之白眉也 刃長弐尺弐寸四分有之 昭和五拾壱年文月吉日 寒山識 (花押)」

「(財)日本美術刀剣保存 第廿四回群馬大会出品 愛喝采者也子孫重代 寒山題 (落款)」

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