青龍軒盛俊

保存刀剣 NBTHK Hozon Paper

No. A00002

白鞘  金着二重ハバキ

     売 約 済

刃長 : 69.0cm  (2尺2寸7分半) 反り : 2.0cm  (6分)

元幅 : 3.0cm 先幅 : 2.2cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.4cm

登録証

東京都教育委員会

平成06年03月15日

: 周防国 (山口県-東部)

時代 : 江戸時代後期 文久3年 1863年

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

保存刀剣鑑定書

平成19年06月29日

防州岩国藩青龍軒盛俊造之

文久三年癸亥五月日

形状

刃文

 

帽子

鎬造、庵棟、身幅尋常に、元先の幅差ややつき、先反り深くつき、中鋒延びごころ。

板目、杢交じり、地沸つき、地景入り、鍛接目あらわれる。

元を直ぐに焼だし、その上はのたれ調に頭の丸い互の目を連れて焼き、足・葉よく入り、匂深く、小沸よくつき、ささやかな砂流しかかる。

直ぐ調に浅くのたれ、小丸やや地蔵風となり、先掃きかける。

生ぶ、先入山形、鑢目切、目釘孔一。

説明

青龍軒盛俊は、本名を岩本清左衛門と称し、長運斎綱俊の高弟にして、青龍子、または青龍軒と号す。長州:毛利家の支藩である周防国岩国藩:吉川家のお抱え鍛冶となる。同門で鉋(カンナ)の名人として著名な千代鶴是秀の逸話によれば、弘化4年、師:綱俊はその子:是俊(二代:綱俊)を12才で岩国の盛俊に預け、修業に励ましたという。盛俊が運寿是一・高橋長信など名工揃いの加藤一門にあって、師:綱俊からその鍛刀の技術を高く評価され、また深い信頼を受けていたことが窺い知れる。弟子に二代:盛俊(岩本精一)、潜龍子盛秀などがいる。慶応3年4月25日、66才にて没す。

作風は、師:綱俊や加藤一門同様に備前伝を得意とし、他に加藤是秀・綱秀父子にみられる互の目乱れ、稀に直刃がある。また、彫物も上手である。

本作は、盛俊独特の頭の丸い大きな互の目を交えた互の目乱れを破綻なく焼いている。焼きが高く華やかとなり、足・葉よく入り、匂い深く、小沸がよくついて、刃中細かに働いており、盛俊の一作風をよく示した優品である。

備考

新々刀 中作。

上研磨済。

気になるほどではありませんが、指表 中程の刃中と腰元に小キズがみられます。

青龍軒盛俊1
青龍軒盛俊2
青龍軒盛俊3

刀剣や刀の販売なら日本刀販売専門店つるぎの屋のTOPページに戻る