商品詳細
大刀剣市 カタログ掲載品 |
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太刀 (無銘) 粟田口 島津家伝来 Tachi [Awatakuchi]
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第69回重要刀剣 NBTHK Jyuyo Paper No.69
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No. F00669
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(附) 朱塗金唐革鞘半太刀拵
白鞘 本阿弥光遜先生鞘書 金鍍金二重鎺 |
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刃長 : 63.3cm(2尺0寸9分) 反り : 0.7cm(5分) 元幅 : 2.3cm 先幅 : 1.4cm 元重 : 0.6cm 先重 : 0.45cm |
登録証: 東京都教育委員会令和5年3月18日 |
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鑑定書: (公)日本美術刀剣保存協会重要刀剣指定書 令和6年 |
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説明: 粟田口派は、京都の粟田口において、鎌倉時代初期に興り中・後期に至る間に十指に余る名工を輩出している。鎌倉前期には、国友を長兄とする久国・国安・国清・有国・国綱の六人兄弟が著名で、他に国友の子の則国がいる。中・後期にかけては、国吉や国吉の弟と伝える国光、国吉の子とも弟子とも伝えられる吉光らが活躍している。それらの刀工を総称して粟田口物と称している。作風は、優美な太刀姿、「鉄色青く刃白し」と評される様に梨子地の鍛えに上品な直刃を焼き格調の高い作品が多い。 粟田口則国は藤馬允と称し、国友の子で年代を嘉禎頃と伝え、その子に左兵衛尉国吉がおり、太刀・短刀の有銘作が僅かながら現存している。 本作の形状は、鎬造、庵棟、身幅やや細め、重ね尋常に、反りつき、中鋒となり、鍛えは、小板目肌よくつみ、少しく杢交じり、梨子地状となり、地沸微塵に厚くつき、地景入り、沸映りたつ。刃文は、直ぐ調に、小互の目交じり、足入り、匂深く、沸よくつき、金筋・砂流しかかり、湯走り状に二重刃を交え、匂口明るく冴える、帽子は直ぐに小丸に返り、先掃きかけるといった優れた出来口を示している。 無銘ながら粟田口派に極められた優品で、鎌倉時代の貴重な生ぶ茎の太刀姿をあらわしている。なお本阿弥光遜先生の鞘書によれば藩政時代は島津家に伝来し、粟田口則国の作と伝えていた。朱塗金唐革鞘半太刀拵が付帯することも好ましい。
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備考: 本阿弥光遜先生 鞘書「粟田口則国 長弐尺九分有之 昭和廿七年九月 本阿弥光遜(花押)」 つなぎ書き「島津家伝来 粟田口則国 光遜(花押)」
古研ぎの為、部分的にヒケ、棟に薄錆がみられます。 |