商品詳細

短刀 (朱銘) 貞宗 (古刀最上作)

蜂須賀家伝来

Tanto [Soshu Sadamune]
第28回特別重要刀剣
NBTHK Tokubetsu Jyuyo Paper No.28
No. F00667
白鞘 田野辺探山先生鞘書
金着二重鎺
蜂須賀家伝来
埋忠銘鑑所載

刃長 : 26.3cm(8寸6分) 反り : 0.2cm(4分) 

元幅 : 2.2cm 元重 : 0.45cm

登録証:

東京都教育委員会
昭和26年3月31日
国: 相模国 (神奈川県-中部・西部)
時代: 南北朝時代 建武頃 1334-1337年頃

鑑定書:

(公)日本美術刀剣保存協会
特別重要刀剣指定書
令和6年
銘: (朱銘) 貞宗
形状 : 平造、三ツ棟、身幅尋常に、重ねやや厚く、反り浅くつく。
鍛 : 板目に杢目・流れ肌を交え、総じてつみ、地沸厚くつき、地景入る。
刃文 : 小湾れに、小互の目・小尖り刃等が交じり、刃縁に長く湯走りかかり、小足入り、沸よくつき明るく冴え、金筋・砂流しかかる。
帽子 : 浅くのたれて厚く沸づき、盛んに掃きかけて火炎状となる。
彫物 : 表に素剣、裏に護摩箸を肉彫する。
茎 : 生ぶ、先剣形、鑢目勝手下がり、目釘孔三、「貞宗」と極めの朱銘がある。

説明:

 彦四郎貞宗は正宗の門人で後に養子になったと伝え、作刀時期は鎌倉時代最末期から南北朝前期に及んでいる。彼は師風を最もよく受け継いでいるが、穏やかな作風と大柄な姿形に師との相違が見られる。貞宗は、相州上工の中でも、正宗とともに最も著名な刀工で、そのことは同工の作品が刀、短刀を含め国宝4点、重文12点、重美3点が国の指定・認定されていることでも明らかである。そして、それらの全てが無銘、或いは朱銘・金象嵌銘となる。

 この短刀は地鉄は板目鍛えに地沸が厚くつき、刃文は湾れ調に小互の目交じりを焼くなど、地刃に相州貞宗の特色がよく現れており、茎に施された極めの朱銘通り首肯されるものである。朱銘が遺されているが、裏に「本阿(花押)」とないものは本阿弥光常・光忠に多く見受けられるが、本作はそのいずれかであろうか。貞宗の作域のなかでは名物:太鼓鐘貞宗に類するやや小振りな姿形をしめし、刃縁には、相州伝上位特有の光輝く刃沸が厚くつき、或いは凝り、或いは崩れて存分に働き、変化の妙を極めた帽子も大変に見事で、同作中でも沸の強い、迫力ある出来口を示しており、地刃に覇気が漲っている。

埋忠銘鑑に拠れば、寛永14年2月15日、蜂須賀阿波守忠英(二代藩主)より、埋忠家に本阿弥某が持ち込んでいる。表の素剣と、裏の香箸(護摩箸)については寸法も詳細に記録がされており、同時期に埋忠家によって施されたものようである。埋忠家による彫金の記録が残されており資料的にも貴重といえる。寛永14年の時点ではまだ無銘とおり、その後に、本阿弥家の12代:光常あるいは13代:光忠によって極めの朱銘が施さたようである。同日に貞宗の短刀とともに新藤五国光の太刀が蜂須賀家より埋忠家に持ち込まれているのが興味深いが関連については不明である。

藩政時代は阿波徳島藩主:蜂須賀家に伝来し、その後、藤原北家四条流庶流にあたる公家の山科家に伝わった。

 

埋忠銘鑑に所載し、「ウラ(裏)ニ香ハシ(箸)長サ三寸五分アリ 貞宗

長サ八寸七分裏ニ香箸長サ三寸五分アリ 面(表)ニ剣アリ長サ四分アリ

蜂須賀阿波守殿寛永十四年二月十五日来ル 本阿(弥)□□一郎殿ゟ(ヨリ)来ル」

 

備考:

中古刀 最上作

 

第28回特別重要刀剣指定品(第69回重要刀剣指定品)

 

田野辺探山先生鞘書

「相模国貞宗 生茎無銘ニ朱銘ガ添エラレ刃長八寸六分余有之 埋忠銘鑑ニ所載シ寛永十四年弐月二月徳島藩主蜂須賀忠英ヨリ到来ス其ノ時點デハ朱銘ハ無ク蓋シ剥落シタルハ光常或ハ光忠ナランカ

同工デハ名物太鼓鐘貞宗ニ類スル稍小振ノ形状而地景・金筋・砂流ナドノ沸の変化ノ妙ヲ発揮シ小湾主調ノ焼刃ニハ眩ク輝ク沸が厚クツキ更ニ地に零レテ無作為ノ湯走ヲ形成スルナド味ワイ殊外深ク総体ニ正宗ト比シテ穏秀ノ趣有之 時令和五如月探山識(花押)」

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