商品詳細
大刀剣市 カタログ掲載品 |
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刀 肥前国忠吉(初代)(新刀最上作)(最上大業物) Katana [Hizen Tadayoshi 1st generation]
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文部省 重要美術品 Agency for Cultural Affairs Art treasures
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No. F00196
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白鞘 金着二重ハバキ | |||||||||||
刃長 : 76.0cm (2尺5寸1分) 反り : 1.6cm (5分) 元幅 : 3.1cm 先幅 : 2.4cm 元重 : 0.65cm 先重 : 0.5cm |
登録証: 大阪府教育委員会昭和26年05月08日 |
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鑑定書: 広井雄一先生重要美術品証明書 平成21年09月26日 |
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説明: 肥前国初代:忠吉は橋本新左衛門と称し、佐賀藩主:鍋島家に抱えられた。慶長元年、藩命により一門の宗長とともに京に上り、埋忠明寿の門に入った。同三年帰国、佐賀城下に在住して活躍し、一門は大いに振るった。元和10年には再度上京して「武蔵大掾」を受領し、名を忠広と改めている。寛永9年8月15日に逝去した。 肥前忠吉や堀川国広など一派を築いた人に共通するのは作風の変遷が著しいことであるが、忠吉の場合は、長義写し・志津写し・直江志津写し・来写し・大和物写し・青江写し景光写し等があって、様々な作域に果敢に挑戦しているのが窺われる。彼の作刀期間において慶長年間は前期にあたり、その作風は、地鉄は、板目に地沸がよくつき、地景が入り、処々地斑状の肌合いをみせ、強い肌合いをしめす。刃文は、沸匂いの変化に富み、刃縁に喰違刃や打ちのけ・二重刃などがかかるなどし、総体に古色に溢れるものとなる。 本作は、身幅やや広めに、重ね厚く、元先の幅差少なく、鎬筋高く、頃合いに反りつき、長寸にて、鋒が延び、豪壮なる体配をしめす。手持ちがズシリと重く、いかにも健全そのものであり、殆ど研ぎ溜まりも見らない。茎も同様にて手擦れもなく、堂々とした「肥前国忠吉」の五字銘には、いまだに鏨まくらが見受けられるほどである。地鉄は、板目肌に、地沸が細かによくつき、地景しきりに入り、地斑状の肌合いを少しく交え、強靱な鍛えをみせている。刃文は、ゆったりとしたのたれを基調に、互の目・小互の目を交え、足よく入り、少しく葉を交え、小沸よくつき、金筋・砂流しかかり、刃縁に喰違刃や打ちのけ・二重刃などさかんにかかり、変化に富み、匂口明るく冴える。帽子は、のたれ込み、小丸に返り、先よく掃きかけて、やや深く焼き下げる。忠吉の慶長末年(19年前半)頃の43歳の作で、埋忠明寿ゆずりの「湾れ刃」の作域にて、「志津」をねらったものと推察され、地刃共に古雅の趣があって味わい深い。 忠吉は、新刀期を代表する名工で、位列は最高位である「新刀最上作」「最上大業物」に位置する。しかし、国指定の重要文化財が一振りも無いことは以外と知られていない。一方、重要美術品は7振あり、そのうち3振は短刀と脇指になる。刀は4振あり、本刀はその中で最も長寸なもので、目釘孔は1ヶのみ(他の3振は2ヶ)にて、忠吉が多くの名品を世に産み出した慶長末年頃の作となっている。地刃共に非常に健体そのものであり、まさに忠吉の最高傑作いえる逸品である。 余談ながら、新刀期で重要文化財がある刀工は、埋忠明寿、堀川国広、堀川国安、大隅掾正弘、出羽大掾国路、繁慶、越前康継、仙台国包、南紀重国、長曽弥虎徹興里、越前守助広、井上真改、一竿子忠綱、一平安代の14工があげられる。 |
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備考: 新刀 最上作。 最上大業物。
文部省 重要美術品認定 昭和17年5月30日 (重要美術品認定書 欠) 広井雄一先生 重要美術品証明書 平成21年09月26日 ※ 重要美術品等認定物件は,文化財保護法及び関係法令により,原則として海外への輸出(持ち出し)が禁止されています。
刃区にわずかに欠けがみられます。 |