商品詳細
刀 津田越前守助広 寛文八年二月日 (新刀最上作)(大業物) Katana [Echizen_no_kami Sukehiro]
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第26回重要刀剣 NBTHK Jyuyo Paper No.26
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No. F00195
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助広大鑑 所載
白鞘 金無垢二重鎺 |
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刃長 : 71.0cm (2尺3寸4分) 反り : 1.0cm (4分半) 元幅 : 3.1cm 先幅 : 2.05cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.55cm |
登録証: 東京都教育委員会昭和39年04月09日 |
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鑑定書: (公)日本美術刀剣保存協会重要刀剣指定書 昭和54年03月02日 |
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説明: 津田越前守助広は、寛永14年、摂津国打出村(現:芦屋市)に生まれ、通称を甚之丞といい、初代:そぼろ助広の門に学び、明暦元年、師の歿後二代目を継いだ。明暦3年、越前守を受領し、寛文7年には大坂城代:青山因幡守宗俊に召し抱えられ、天和2年、46歳で歿している。作風は初期には石堂風の丁子乱れを、ついで互の目乱れを焼き、さらに濤欄乱れという独特の刃文を創始し、世に絶賛を博した。同地大坂の井上真改と共に大阪新刀を代表する双璧であり、新刀期の名工としも東の横綱:長曽弥虎徹興里と西の横綱:津田越前守助広として長く並び称されている。 この刀は、浅く大きく5つにのたれた刃を焼き、匂深く、小沸がよくつき、金筋・砂流しがかかり、匂口が冴えるなど一見真改の作風を思わせるものであるが、真改に比しては沸の粒が細微であり、刃縁には例の奉書紙を裂いたような働きが顕著である。助広がのたれ、或いは、直刃を焼いた場合、広狭はあるものの多くは大きく5つにのたれ、そして、横手辺から焼幅を広めて、帽子もやや直線的になる。一説には、末備前鍛冶である祐定らの影響を受けたものといわれ、実際に、彼らののたれも大きく5つほどにのたれており、同時に室町時代後期の刀剣類は実用面から横手下より刃幅を増しているものを多く経眼する。もう一つの見処は地鉄であり、小板目肌が極めてよくつみ、地沸を微塵に厚く敷き、みずみずしく潤いのある冴えたものとなり、地鉄が精良なることは、井上真改、近江守助直、一竿子忠綱など他の大坂新刀諸工の追随を許すものではない。助広の特色がよく示された一口で、同作中の優品である。 |
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備考: 新刀 最上作 大業物 |