商品詳細
大刀剣市 カタログ掲載品 |
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刀 肥前国忠吉(初代)(新刀最上作)(最上大業物) Katana [Hizen Tadayoshi 1st generation]
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特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon Paper
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No. F00180
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(附) 黒呂色塗鞘打刀拵
白鞘 金着一重ハバキ |
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刃長 : 74.8cm (2尺4寸7分) 反り : 1.3cm (4分強) 元幅 : 3.0cm 先幅 : 2.3cm 元重 : 0.65cm 先重 : 0.5cm |
登録証: 青森県教育委員会昭和26年06月20日 |
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鑑定書: (公)日本美術刀剣保存協会保存刀剣鑑定書 平成26年08月14日 |
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説明: 初代忠吉は、橋本新左衛門と称し、肥前鍋島藩抱え工であり、慶長元年藩命により一門の宗長と共に京の埋忠明寿の門に学び、忠吉は鍛刀、宗長は彫技を学んだ。同三年帰国し、佐賀城下に住し、藩の庇護のもとに大いに繁栄した。元和10年、再度上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠広と改めた。寛永9年8月に61歳で歿したといわれる。 この刀は、現状で2尺4寸7分(74.8cm)の長さとなっており、約1寸(3.2cm)ほど磨上られており、元来は2尺6寸(78.0cm)を超える大柄の体配をした豪刀であったと推察される。地鉄は、小板目肌がよくつみ、少しく杢を交え、総じてわずかに肌目がたち、地沸が微塵に厚くつき、地景よく入る。刃文は、直刃調にわずかにのたれごころを帯び、小互の目を交え、足・葉がよく入り、匂深く、小沸がよくつき、金筋・砂流しかかり、物打ち辺には喰違刃、二重刃風を交える。帽子は、浅くのたれ込み、先掃きかけている。総じて、一見すると古刀に見たくなるような慶長新刀特有の古色が感ぜられる出来映えを示しており、生ぶであれば重要刀剣でも上位に位置するであろう力を持った一振りである。銘振りより慶長17年頃と推察され、初代忠吉の作柄のなかでも最も魅力あふれる頃といえる。 附帯する黒呂色塗鞘打刀拵は、赤銅地の上質な金具を用いて制作されたもので作品の格調をより品格高いものとしている。 |
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備考: 新刀 最上作。 最上大業物。
古研ぎの為、ハバキ元、部分的に刃先に小錆があります。 |