商品詳細
大刀剣市 カタログ掲載品 |
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刀 大隅掾藤原正弘 日州住(新刀上々作) Katana [Oosumi Jyo Masahiro]
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第21回重要刀剣 NBTHK Jyuyo Paper No.21
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No. F00018
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白鞘 本間薫山先生鞘書 金着二重ハバキ
鑑刀日々抄 所載 |
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刃長 : 76.2cm(2尺5寸4分半) 反り : 2.0cm(6分半) 元幅 : 3.0cm 先幅 : 2.1cm 元重 : 0.6cm 先重 : 0.5cm |
登録証: 東京都教育委員会昭和40年12月18日 |
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鑑定書: (公)日本美術刀剣保存協会重要刀剣指定書 昭和48年03月01日 |
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説明: 大隅掾正弘は、日州飫肥の出身で、国広の甥、或いは門人ともいうが、その詳細については定かではない。但し、同作には「慶長十一年三月吉日」紀のものが三口(刀・脇指・短刀各々一口ずつ)現存し、その作域を見るに、かなりの老熟さを示している。さらにこの時に、既に大隅掾を受領していることは、一門中、最も時代の遡る、阿波守を冠する慶長二年紀の在吉の作に次ぐものであることから、同門の中でも先輩格であったろうことが推測される。そして、正弘の作刀が頗る少ないことに加えて、彼の作風・銘振り・鑢目・茎仕立などが、国広に最も近似していることなどから、国広の代作者の一人であったことも想像に難くない。「冶工銘集誌」には、「国広が代を勤むると云へり、至って上手也」と評している。慶長十九年国広歿後は、本国日向に帰ったものと思われ、「日州住」或いは「日州飫肥住」と銘したものがある。 本作は、その作風から大磨上無銘の貞宗の刀が存在し、その作をそのまま写したものと推せられ、茎も本歌同様に大磨上の如くに(実際は生ぶ)仕立てたものと想われる。常々の正弘の作に比べて、一段と古色のある作域で、同作中屈指の作である。 |
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備考: 新刀 上々作。 |