商品詳細

小柄 後藤光永(花押)

Koduka [Goto Shunjyo]
保存刀装具
NBTHK Hozon Paper
No. B00249
桐箱

長さ : 9.6cm    : 1.45cm

画題:

舫い舟図
国: 山城国 (京都府-南部)
時代: 江戸時代中期

鑑定書:

(公)日本美術刀剣保存協会
保存刀装具鑑定書
平成27年11月19 日
銘: 後藤光永(花押)
形状 : 赤銅魚子地、高彫、鋤出高彫、金銀色絵

説明:

 京後藤とは、むかしは脇後藤とも呼ばれており、後藤本家の作品より一格下にみられていたが、在銘品には本家に見紛う作品も多く見受けられる。それは京後藤は本家の次男:三男などが別家を創設し、本家のよき協力者として活躍し、力量を充分兼ね備えた名工たちが多かったからである。

京後藤は本家から最初に分家したのが喜兵衛家であり、喜兵衛家の初代:元乗は本家三代乗真の次男であり、本家四代光常の弟である。二代:琢乗は本家五代徳乗の三男である。四代が伝乗で光良は伝乗の長男である。この様に別家と言えども本家とは非常に関係の深い人々ばかりで、喜兵衛家以外にも理兵衛家・権兵衛家・半左衛門家・治左衛門家など十五家があり、江戸期を通じて京の都において活躍した。

 京後藤という名称に改められた理由の一つは本家八代即乗が寛永2年(1625)に幕府より京から江戸詰めの命を受け江戸に下り、その後、本家は江戸在住になったことに反し、分家した十五家は代々京に住し活躍したことや、技量の点においても決して劣らず、さらに本家の格式張った作風ばかりでなく京の雅さを感じさせる作風を加えた点などが大きい。さらに「京後藤の研究」の発刊を期に脇後藤から京後藤という名称に改められたといわれている。

 八郎兵衛家の二代:俊乗光永は寛乗の嫡子で寛永11年に生まれ、享和6年88歳にて没す。長銘であったために作品は多く遺されている。

 二隻の舟を鋤出彫で、片方の苫舟の屋根と縄を金色絵で、波頭を銀色絵で仕上げている。俊乗の若い頃の作品であろうか、程乗に見紛う優品である。

備考:

擦れや当たりがみられます。

詳細写真1
詳細写真2
詳細写真3
詳細写真4
詳細写真5
詳細写真6
詳細写真7