商品詳細

小柄 後藤寛乗(花押)

Koduka [Goto kanjyo]
保存刀装具
NBTHK Hozon Paper
No. B00248
桐箱

長さ : 9.7cm    : 1.4cm

画題:

松竹図
国: 山城国 (京都府-南部)
時代: 江戸時代中期

鑑定書:

(公)日本美術刀剣保存協会
保存刀装具鑑定書
平成14年10月18 日
銘: 後藤寛乗(花押)
形状 : 赤銅魚子地、高彫、金・四分一色絵、裏板金

説明:

 京後藤とは、むかしは脇後藤とも呼ばれており、後藤本家の作品より一格下にみられていたが、在銘品には本家に見紛う作品も多く見受けられる。それは京後藤は本家の次男:三男などが別家を創設し、本家のよき協力者として活躍し、力量を充分兼ね備えた名工たちが多かったからである。

京後藤は本家から最初に分家したのが喜兵衛家であり、喜兵衛家の初代:元乗は本家三代乗真の次男であり、本家四代光常の弟である。二代:琢乗は本家五代徳乗の三男である。四代が伝乗で光良は伝乗の長男である。この様に別家と言えども本家とは非常に関係の深い人々ばかりで、喜兵衛家以外にも理兵衛家・権兵衛家・半左衛門家・治左衛門家など十五家があり、江戸期を通じて京の都において活躍した。

 京後藤という名称に改められた理由の一つは本家八代即乗が寛永2年(1625)に幕府より京から江戸詰めの命を受け江戸に下り、その後、本家は江戸在住になったことに反し、分家した十五家は代々京に住し活躍したことや、技量の点においても決して劣らず、さらに本家の格式張った作風ばかりでなく京の雅さを感じさせる作風を加えた点などが大きい。さらに「京後藤の研究」の発刊を期に脇後藤から京後藤という名称に改められたといわれている。

 八郎兵衛家の初代:寛乗光利は母親が本家五代:徳乗の三女ということで七代:顕乗の養子となり別家して八郎兵衛家を創設する。義兄には九代:程乗がおり、承応2年、43歳で没す。この八郎兵衛家:六代には後藤家の掉尾を飾った有名な一乗がいる。

画面一杯に若松と竹を彫っており、若松の葉は金、根は四分一で力強く仕上げ、裏板は金哺にて銘は細かく二行に切り分けている。程乗のよき協力者であり、在銘品は極めて少ない。

備考:

処々に擦れや凹みがみられます。

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