商品詳細
小柄 後藤光良(花押) Koduka [Goto Mitsuyoshi]
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保存刀装具 NBTHK Hozon Paper
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No. B00242
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京後藤の研究 所載
桐箱 |
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長さ : 9.6cm 幅 : 1.4cm |
画題: 鞍馬山図 |
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鑑定書: (公)日本美術刀剣保存協会保存刀装具鑑定書 平成15年2月21 日 |
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説明: 京後藤とは、むかしは脇後藤とも呼ばれており、後藤本家の作品より一格下にみられていたが、在銘品には本家に見紛う作品も多く見受けられる。それは京後藤は本家の次男:三男などが別家を創設し、本家のよき協力者として活躍し、力量を充分兼ね備えた名工たちが多かったからである。 京後藤は本家から最初に分家したのが喜兵衛家であり、喜兵衛家の初代:元乗は本家三代乗真の次男であり、本家四代光常の弟である。二代:琢乗は本家五代徳乗の三男である。四代が伝乗で光良は伝乗の長男である。この様に別家と言えども本家とは非常に関係の深い人々ばかりで、喜兵衛家以外にも理兵衛家・権兵衛家・半左衛門家・治左衛門家など十五家があり、江戸期を通じて京の都において活躍した。 京後藤という名称に改められた理由の一つは本家八代即乗が寛永2年(1625)に幕府より京から江戸詰めの命を受け江戸に下り、その後、本家は江戸在住になったことに反し、分家した十五家は代々京に住し活躍したことや、技量の点においても決して劣らず、さらに本家の格式張った作風ばかりでなく京の雅さを感じさせる作風を加えた点などが大きい。さらに「京後藤の研究」の発刊を期に脇後藤から京後藤という名称に改められたといわれている。 喜兵衛家から出た光良は父の伝乗が正徳2年(1712)に85才くらいで没した長寿であったため五代目を弟の乗巴光俗に譲り父:伝乗のよき協力者であったと伝えられている。活躍年代は享保頃。 本作は、天狗が牛若丸をめがけて弓を放ち、矢は後方に逸れている。その瞬間にな薙刀を振って今にも飛びかかろうとする牛若丸の躍動感に溢れる姿を見事に表現している。この様な図柄は本家には見られず如何にも京後藤らしい図柄である。裏板も金にて銘を二行に切り分けた光良初期作の傑作である。 |
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備考: 全体に擦れがみられ、部分的に戸口や戸尻に当たりがあります。 |