商品詳細
大刀剣市 カタログ掲載品 |
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太刀 於備前国大野義光作之 (無鑑査) Tachi [Ohno Yoshimitsu , copy Sanchomo]
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無鑑査
平成十三年新作名刀展 無鑑査出品作品 Mukansa
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No. A00634
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白鞘 下貝赤銅上貝金無垢二重鎺 | |||||||||||||
刃長 : 79.5cm(2尺6寸2分) 反り : 3.3cm(1寸) 元幅 : 3.4cm 先幅 : 2.4cm 元重 : 0.75cm 先重 : 0.5cm 刀身重量(裸身) : 977g |
登録証: 東京都教育委員会平成13年12月11日 |
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鑑定書: |
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説明: 大野義光刀匠は、昭和23年10月16日に新潟県西蒲原郡に生まれ、本名を吉川三男という。日本大学農獣医学部に入学し、学生時代より日本刀に興味を持ち、昭和44年に、吉原義人・吉原荘二刀匠らの鍛錬所で日本刀の製作の道に入る。昭和55年、文化庁より「美術刀剣類製作承認」を受け、刀匠となり、同年、新作名刀展に初出品する。昭和51年、新潟県黒崎町に鍛錬所を設けて独立する。昭和57年より62年まで、高松宮賞、文化庁長官賞の特賞を6回連続受賞し、昭和62年に無鑑査認定となる。昭和59年、伊勢神宮第61回式年遷宮の御神刀を謹作する。作風は、備前伝を得意とし、「大野丁子」と呼称される華やかな重花丁子乱れを焼く。就中、上杉家に伝来した名物「山鳥毛」(国宝)を写したものは国内外で高い評価を得ている。 本作は「山鳥毛」を写ししたもので、身幅広く、長寸で、腰反り豊かにつき、猪首鋒となり、長寸ながら手持ちがよい。鍛えは小板目肌つみ、刃文は腰刃をやき、丁子が重なり合い、鎬にまでかかろうとうる大丁子に重花丁子を交え、足・葉よく入り、複雑に乱れて、帽子は深く乱れこむ。茎も本歌と同じく往時の形式で反りがやや深めに加えられている。大野刀匠が53歳の作品で長寸の太刀に、華麗さを十分にあらわしており、一つ一つの丁子が息づいているように感じられ、むらなく焼き上げた手腕が高く評価される代表的な優品である。 余談ながら、大野刀匠の山鳥毛写しの作品の研磨は全てが本歌と同様に差し込み研ぎとなっている。本作は藤代興里師による入念な差し込みによる研磨が施されており、華やかな丁子乱れがより映えて目にすることができる。 また、大野刀匠は各年における代表になるような特に会心の作品には、本作の「平成十三年春」のように「製作年と季節のみ」を刻し、月日を省略するのが掟となっている。鎺も本歌と同様に腰の浅い下貝赤銅上貝金着二重鎺となっており忠実に再現されている。
<作刀のあゆみ> 昭和五十九年 私と山鳥毛の出会いは、今から十五年程前、東京で開かれた全国大会の時であったと思います。そのとき多くの名刀が並ぶ中で特に光り輝いて見えたのが山鳥毛の太刀であります。この太刀の刃文は丁子刃と言えるすべての刃文が入っており、複雑で変化に富み、見る者を圧倒します。ただ感激して見ているうちに、このような刃文を作ることは不可能な事だと思いながらも、少しでも近づきたいと思いました。備前の一文字を目標にしている刀匠であるなら誰しも思うことでしょう。当時まだ独立したばかりで、刀を作れるだけで嬉しく、研究できるだけで楽しかった時代でありました。そんな頃ですから挑戦してみたいと思ったのかもしれません。 一生掛かっても出来そうにもない大きな目標を見つけたことが、私の作刀人生を大きく変えたと思います。それからすぐに「寒山押形」を手に入れ、毎日のように見つめること五年、どうしたらこの刃文に近づけるか、いろいろ考え、思いつくまま実験を繰り返しました。ようやく成功のメドがついたのはこの太刀を作る三年ほど前であります。さらに研究と実験を重ねて、この太刀のような刃文が完成したのであります。 山鳥毛との出会い、感激、そして無謀な挑戦、これが私の人生かもしれません。 (「大野義光重花丁子の世界-古刀備前を追う・あゆみ(平成3年刊)」より抜粋)
<山鳥毛について> 鎌倉中期における一文字派の第一級の作。山鳥毛、山焼毛とも。 刃長 : 80.3cm (2尺6寸5分) 反り : 3.18cm (1寸5厘) 昭和12年:重要美術品指定。昭和15年:重要文化財(旧国宝)指定。昭和36年:国宝指定。 上杉家に伝来し、上杉景勝公自筆の腰物目録には28口の刀剣が記されており、中でも極上のものを上秘蔵として10口選んでおり、山鳥毛もその1口で「山てもう」と記されている。 「上杉家刀剣台帳」に拠れば、「弘治二年十月謙信公上州御出馬の節、白井城主・長尾左エ門尉憲景、兼光作山鳥毛(略名)ノ刀ヲ献ス、又山焼毛トモ謂フ、蓋シ焼刃の美ナル山鳥ノ尾毛、山野ノ燃ユルノ状ニ似タルヲ以て、其模様ヲ形容シタルモノナリ」とあって、「山てうまう」の称号は山鳥毛、あるいは山焼毛とも書き、美しく華麗なる焼刃の様子が山鳥の尾毛に似ていたり、また山野の燃える様をも想わせることから名付けられた。刃文の高低出入りの変化に富み、部分的には焼が鎬にかかるほどに大模様で、躍動感にあふれており、その健全度も特筆される。来歴は、弘治二年(1556年)、上杉謙信公が上州白井に出陣した折に、白井城主の長尾左衛門尉憲景から贈られたものである。当時は「一文字」ではなく「備前長船兼光」に極められていたようである。。 ハバキ元には今なお切り込みの痕跡が残っており、古の武勲を伝えている。 上杉家では、いわゆる上杉景勝公御手選三十五腰の一として珍重された。 「上杉家刀剣台帳」には、乾号の第七号として記載がある。 上杉家独自の様式である鐔のつかない合口打刀拵が附帯する。 |
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備考: 無鑑査
「新作刀展覧会 入賞作品集 平成十三年」 所載
研磨 : 藤代松雄師 白鞘 : 高山一之師
佩裏の物打ち辺の樋中にわずかに鍛えがみられます。 |