商品詳細
刀 水心子正秀(花押)(刻印) 文化十二年八月日 (新々刀最上作) Katana [Suishinshi Masahide]
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特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon Paper
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No. A00632
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(附) 黒色塗家紋金銀蒔絵鞘打刀拵
白鞘 金鍍金鎺 |
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刃長 : 65.5cm(2尺1寸6分強) 反り : 1.8cm(5分) 元幅 : 3.0cm 先幅 : 1.9cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.5cm |
登録証: 神奈川県教育委員会昭和39年4月22日 |
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鑑定書: (公)日本美術刀剣保存協会特別保存刀剣鑑定書 令和4年12月14日 |
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説明: 水心子正秀は、寛延3年に羽前国赤湯で生まれ、下原吉英に学び、宅英と銘し、のち英国ときり安永3年に秋元家の臣となって、銘を川部儀八郎正秀と改め水心子と号した。浜町に住したので浜町老人などと自称し、正日出、正日天などと捩ったものもある。文政元年、天秀と改め文政8年9月27日に76歳にて没する。 作刀は安永から文政の中頃まで五十年に及び、初期の天明・寛政・享和の頃は、大坂新刀を理想として越前守助広風の濤欄乱れ、あるいは井上真改風の直刃調の刃文を焼き、稀に一竿子忠綱風の作柄のものなどがある。晩年には復古論を唱え、自らも実践し、焼刃の浅い備前伝にて匂口の締まった小丁子、地鉄は無地風のものに終始している。刀身に自身彫もあるが、多くは本荘義胤の手によるものをみる。 本作は、文化12年の作刀年紀を有した正秀が66歳のもので、地鉄は小板目肌がよくつみ、やや無地風にて、地沸が細かにつき、地景が入る。刃文は小丁子風の小互の目を連れて焼き、足よく入り、匂本位にわずかにつき、金筋入り、砂流しかかるといった作柄をみせている。正秀が晩年に唱えた復古論における備前伝の作風にて小丁子が連れて焼かれており、備前伝のなかでも鎌倉時代後期の長船景光あたりを狙ったものといわれている。地鉄は小板目肌がよく錬れてつみ、やや無地風となり、地鉄が細かによくつき、小丁子乱れの匂口がよく締まり冴えている点などが特筆される優品である。 附帯する黒色塗家紋金銀蒔絵鞘打刀拵の鞘は表に丸に三両引家紋を三ツ、裏に二つ銀蒔絵で、九曜紋を表に二ツ、裏に一ツ金蒔絵を加えた味のある時代拵となっている。 |
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備考: 新々刀 最上作
古研ぎのため、全体に細かなヒケや擦れ、細かな薄錆があります。 中程の刃先が数か所わずかに欠けています。 刃先や棟に部分的に小錆や当たりがあります。 |