商品詳細
脇指 肥前国忠吉(初代)(新刀最上作)(最上大業物) Wakizashi [Hizen Tadayoshi]
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特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon Paper
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No. A00625
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(附) 黒変塗塗鞘小サ拵
白鞘 佐藤寒山先生鞘書 金着一重鎺 |
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刃長 : 40.5cm(1尺3寸2分強) 反り : 1.2cm(3分半) 元幅 : 3.1cm 先幅 : 3.0cm 元重 : 0.55cm 先重 : 0.5cm |
登録証: 東京都教育委員会昭和27年7月23日 |
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鑑定書: (公)日本美術刀剣保存協会特別保存刀剣鑑定書 令和4年6月3日 |
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説明: 初代忠吉は、橋本新左衛門と称し、肥前鍋島藩抱え工であり、慶長元年藩命により一門の宗長と共に京の埋忠明寿の門に学び、忠吉は鍛刀、宗長は彫技を学んだ。同三年帰国し、佐賀城下に住し、藩の庇護のもとに大いに繁栄した。元和10年、再度上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠広と改めた。寛永9年8月に61歳で歿したといわれる。 初代忠吉の銘字の変遷は、慶長年間には「肥前国忠吉」の五字銘に切るいわゆる五字忠吉銘となり、元和になり「肥前国住人忠吉」と切る住人忠吉銘となり、さらに元和10年以降は「武蔵大掾忠広」と切る武蔵大掾銘となる。 しかし、元和10年2月18日(2月30日に寛永と改元)、武蔵大掾忠広と改銘する直前の作に「肥前国忠吉」と五字銘に切る作が極くわずかに現存している。それらは「忠」の字が慶長年間のものとは異なり、武蔵大掾忠広銘の頃と同じになっているなどの特徴がある。 この脇指は形状は、鎬造、庵棟、身幅ひろく、重ね厚めに、反りつき、大鋒と迫力に溢れたものとなり、鍛えは、板目が総じてつみ、杢交じり、やや肌立ちごころに、地沸微塵に厚くつき、地景よく入る。刃文は、頭の丸い互の目に、小互の目・尖り刃など交じり、乱れ、足入り、匂深く、小沸よくつき、金筋入り、砂流しかかり、明るく冴え、帽子は乱れ込み小丸に返り、先掃きかけるといった作風をみせている。所謂、団子丁子という刃文で初代忠吉の作風の中でも寛永10年以降の武蔵大掾忠広銘の頃のものとなっている。銘字も慶長年間の五字忠吉銘のものとは「忠」の字の字形が異なっているようである。寛永10年頃、住人忠吉銘から武蔵大掾忠広銘に銘字が変遷した時期に極くわずかに存在した寛永年間の五字忠吉銘であり、資料的にも類例が少なく貴重な作例といえる。佐藤寒山先生の鞘書にも「初代傑出之一」と賞されており抜群の出来栄えを示している。
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備考: 新刀 最上作 最上大業物
佐藤寒山先生鞘書 「肥前国忠吉 初代傑出之一 刃長壱尺五分寸二分半有之 昭和辛亥(46)年夏日 寒山識(花押)」
拵の鞘の下部に漆の剥落があります |