商品詳細

短刀 筑前守信秀 (新々刀 上々作)

慶応二年三月日

Tanto [Kuribara Nobuhide]
特別保存刀剣
NBTHK Tokubetsu Hozon Paper
No. A00624
白鞘 銀着一重鎺

刃長 : 29.3cm(9寸3分) 反り : なし 

元幅 : 2.6cm 元重 : 0.65cm

登録証:

埼玉県教育委員会
平成4年1月16日
国: 武蔵国 (東京都・埼玉県・神奈川-東部)
時代: 江戸時代後期 慶応2年 1862年

鑑定書:

(公)日本美術刀剣保存協会
特別保存刀剣鑑定書
平成5年3月12日
銘: 筑前守信秀
慶応二年三月日
形状 : 平造、庵棟、身幅広め、重ねやや厚く、反りなく、寸延びごころとなる。
鍛 : 板目、杢交じり、刃・棟より柾がかり、やや肌目立ち、地沸厚くつき、地景入る。
刃文 : 互の目に小互の目交じり、乱れ、足入り、匂深く、小沸よくつき、細かな砂流しかかり、匂口明るく冴える。
帽子 : 乱込みに小丸に返り、先掃きかける。
彫物 : (なし)
茎 : 生ぶ、先栗尻、鑢目勝手下がり、目釘孔一。

説明:

 栗原信秀は、文化12年、越後国西蒲原郡月潟村に生まれた。文政12年、京都へ上り鏡師となったが、嘉永初年、江戸に出て、山浦清麿門に入り刀鍛冶となった。現存する信秀の作刀で最も時代の遡るものは、嘉永5年紀であることから、実際に師事した期間は短かったものと思われる。独立して間もない嘉永6年には、相模国浦賀で作刀した、いわゆる「浦賀打」が違存する。元治元年7月、第一回長州征伐が行われ、彼は幕命を受け大坂に赴き、兵器補給の役を務めている。大坂での作刀は元治元年8月より慶応3年正月までの約2年半に亘っている。慶応元年5月、筑前守を受領した。後に江戸に戻り、さらに明治8年、越後三条に帰り、同10年には弥彦神社の御神鏡の制作を行っている。明治13年1月25日、東京本郷元町の養子:信親宅に於て、66歳で歿している。彼の技倆は山浦清麿一門中で最も卓越しており、師:清麿に迫る出来映えのものがある。

 本作は、身幅が広く、寸の延びた短刀姿に、地鉄は、板目、杢交じり、刃・棟より柾がかり、やや肌目立ち、地沸厚くつき、地景入る。刃文は、互の目に小互の目交じり、乱れ、足入り、匂深く、小沸よくつき、細かな砂流しかかり、匂口明るく冴えるといった出来口を示している。常々の作よりも一段と互の目乱れが大模様に躍動して、覇気あふれる出来で、砂流しが細かによく働いている。

備考:

新々刀 上々作

詳細写真1
詳細写真2
詳細写真3