商品詳細
短刀 左行秀 (新々刀上々作) Tanto [Sa Yukihide]
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特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon Paper
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No. A00581
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(附) 腰刻紫檀鞘合口拵
白鞘 金着一重鎺 左行秀と固山宗次その一類:片岡銀作著 所載 佐藤寒山・柴田光男両先生鞘書 |
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刃長 : 19.8cm(6寸5分) 反り : なし 元幅 : 2.1cm 元重 : 0.65cm
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登録証: 埼玉県教育委員会平成1年11月16日 |
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鑑定書: (公)日本美術刀剣保存協会特別保存刀剣鑑定書 令和2年2月19日 |
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説明: 左行秀は、伊藤又兵衛盛重の嫡子として文化10年、筑前国上座郡朝倉星丸の里に生まれた。そして自ら筑前左文字三十九代目を以て任じており、かれの作刀にはそれを刻銘したものがある。天保初年出府し、細川正義門人清水久義に鍛刀の技を学び、弘化3年、行秀34歳の時、土佐藩工関田真平勝広の勧めにより土佐に下った。安政2年10月土佐藩工となり、万延元年の終りから文久2年の初めの頃、彼は再び江戸に上り、深川砂村の土佐藩邸に居所を構えて作刀したが、慶応3年5月、板垣退助との不和がもとで、同年夏土佐に帰り、この後より「東虎」と銘している。彼の作刀は明治3年で終り、晩年は明治20年75歳で歿するまで、嫡子幾馬と横浜で暮らした。 新々刀約100年の歴史のなかで、名工と云われる刀工は年代順にあげると水心子正秀・大慶直胤・山浦清麿と続き掉尾を飾ったのが左行秀である。新々刀のなかで重要美術品に認定された作品のあるのはこの四名工のみであり、そのことを物語っている。左行秀の名作は数多く遺されているが、多くは刀であり、特に短刀は極めて稀有でありそれは10振に満たず、確認できたものは5振となっている。本作は、そのうちの1振で、刃長6寸5分、無反り、平造り庵棟、内反り風に見える。鍛え小板目に柾気交じり、地沸つき冴えて整美。刃文直刃僅かに湾れて、小沸よくついて匂いフックラと働いて、刃中明るく冴える。帽子直ぐ、小沸ついて小丸返り。中心生ぶ、といった優れた作風をみせている。柾気交じりの冴えた地がねがキリッとした力強い出来が見処となる。佐藤寒山先生の鞘書には「直刃出来見事也 嘉永頃之作哉」、柴田光男先生の鞘書には「行秀優作也」と両先生が誌されて称賛されている。 附帯する腰刻紫檀鞘合口拵は、小柄・笄・目貫の三所物は船田一琴作の四分一地の作品をもちい、縁頭・鯉口・栗形・返り角・裏瓦などは水牛の角で仕上げられている。柄は最上の鮫皮を使用して形が良い。下緒は鞘に合った茶色に白糸にて立鶴の図を織り込んでいる。時代は戦後の制作ながら凝りに凝った見事なもので数寄者の美意識がひしひしと感じられる拵えである。 |
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備考: 新々刀 上々作
古研ぎのため、刀身に蜘蛛の巣状の薄錆がみられます。
佐藤寒山先生鞘書「左行秀 直刃出来見事也 嘉永頃之作哉 秘蔵之一 昭和己酉夏 寒山識(花押)」 柴田光男先生鞘書「行秀優作也 二二十四己酉七月廿一日アポロ月人 柴喘」 |