商品詳細

刀 宮口靖広
昭和二十年五月吉日(靖国刀匠)

Katana [Miyaguchi Yasuhiro]
保存刀剣
NBTHK Hozon Paper
No. A00554
白鞘 金着二重鎺

刃長 : 64.0cm(2尺1寸0分5厘) 反り : 1.4cm(5分) 

元幅 : 3.0cm 先幅 : 2.4cm 元重 : 7.0cm 先重 : 5.5cm 

 

登録証:

神奈川県教育委員会
昭和35年5月25日
国: 東京都
時代: 現代 昭和20年 1945年

鑑定書:

(公)日本美術刀剣保存協会
保存刀剣鑑定書
平成8年7月26日
銘: 宮口靖広
昭和二十年五月吉日
形状 : 鎬造、庵棟、身幅尋常、重ねやや厚く、浅く反りつき、中鋒となる。
鍛 : 板目つみ、地沸よくつき、地景入る。
刃文 : 互の目に小互の目少しく交じり、足入り、小沸よくつき、処々ムラだち、砂流しかかる。
帽子 : 直ぐ調に浅くのたれて小丸に返り、先さかんに掃きかける。
彫物 : (なし)
茎 : 生ぶ、先栗尻、鑢目筋違に化粧つく、目釘孔一。

説明:

「靖国刀匠」とは、昭和8年7月に当時の陸軍大臣:荒木貞夫が有事に際した軍刀整備の為に組織した刀工集団 (財)日本刀鍛錬会に所属する刀匠たちの通称で、彼らが鍛えた刀剣は「靖国刀」と呼称され、その名は日本刀鍛錬会が靖国神社境内に置かれたことに由来している。創設には後に主事となった海軍大佐:倉田七郎らが尽力し、草創期の主任刀匠として宮口靖広、梶山靖徳、池田靖光などがいる。鍛錬会では、主として通常の軍刀の制作や陸海軍大学校の成績優秀な卒業生に贈られた御下賜刀(所謂恩賜の軍刀)などの制作を行っており、終戦により同会が解散するまでに約8100振の刀を制作したといわれている。現在でも鍛錬所の建物は靖国神社境内に残っているが、内部は改装されて茶室になっている。

宮口靖広は、本名を繁といい、正寿の子として静岡県に明治30年4月11日に生まれ、祖父に一貫斎繁寿、従兄弟に笠間一貫斎繁継がいる。昭和8年7月8日、日本刀鍛錬会に入会し、荒木貞夫陸軍大臣より刀匠銘「靖広」を授名し、同会の首座刀工を務め、打ち始め式を行う。昭和8年8月、靖国神社奉納刀を製作する。昭和9年1月29日、靖国タタラ新玉鋼にて昭和天皇の陸軍用軍刀を造刀し、納入する。日本刀鍛錬会において約500振を造刀する。昭和11年12月26日、日本刀鍛錬会を退会し、大倉喜七郎男爵が大倉鍛錬道場を開設したので、同道場の主任刀匠として先手の酒井寛(一貫斎繁政)、竹田貞吉(旧姓:柿崎)と共に移籍する。昭和14年、後鳥羽院700年祭奉納刀を制作する。戦後は、昭和28年伊勢神宮式年遷宮御料太刀身を制作する。昭和29年、美術刀剣製作の認可を受ける。大日本刀匠協会主催・文部省後援の日本刀展覧会において陸軍大臣賞を、作刀技術発表会において入選を3回受賞する。靖広の他に宮口一貫斎寿広、宮口寿広とも銘を切り、大倉鍛錬道場で洋鉄を材料に造刀したものには、一貫斎国護と銘を切っている。従兄弟の笠間一貫斎繁継より学んだ刀身彫刻も得意としていた。昭和31年3月21日没。

本作は、形状は、鎬造、庵棟、身幅尋常、重ねやや厚く、浅く反りつき、中鋒となる。鍛えは、板目つみ、地沸よくつき、地景入る。刃文は、互の目に小互の目少しく交じり、足入り、小沸よくつき、処々ムラだち、砂流しかかり、帽子は、直ぐ調に浅くのたれて小丸に返り、先さかんに掃きかけるといった優れた出来口をしめしている。

備考:

詳細写真1
詳細写真2
詳細写真3